「。オレ達も帰ろう。それじゃ師範、失礼します」
「ええ。それじゃあ、私達も帰ります。師範、また、お邪魔させてくださいね。雪菜ちゃんもまたね。そだ、今度女の子だけで遊びに行こ♪螢子ちゃんやぼたんちゃんや静流さん達も誘ってさ」
冷静に考えると深刻かも知れない状況だけれど、はいつも通りマイペースで明るい。
「え?あの‥‥女の子だけって、和真さんや蔵馬さん達は‥‥?」
「いーのいーの。たまには女の子だけでも。せっかく人間界にいるんだもん。遊ばなくっちゃ。人間界(こっち)には可愛いお洋服とか美味しいものとか、楽しいとこや事いっぱいあるんだから。そ・れ・に、女の子だけで行った方が楽しいとこだっていっぱいあるのよ」
雪菜ちゃんの予定が分かったら電話ちょうだい。電話番号は師範に聞けば分かるからねとは雪菜にそう告げると、バイバイと手を振って、先に木々の間をぬって飛ぶ蔵馬を追いかける。
「今日は授業いつから?」
「そっちと同様今日は一限目から四限までぎっちりです。家帰ってカバン取ったら電車乗らずに直接ビルの上跳ねてかないと、遅刻決定(汗)」
文系の癖にうちの大学(学校)出席厳しいから大変、と、が軽くぼやいたその時、刺すような冷気と共に、氷の刃の群れが二人を襲った。
「「?!」」
とっさに左右に大きく開いて二人はその襲撃を回避する。彼らを目掛けて襲ってきた氷の刃達は今の今まで二人がいたはずの空間を切り裂いて通り過ぎた。
おそらくは今の攻撃で二人を仕留めるつもりだったであろう、目に見えない襲撃者の目論見は完全に空振りとなる。
が、不意を討たれた事による判断の死角は、お互い『頭脳派』と言うレッテルが貼られている蔵馬とにも確実に存在していた。
通常なら多分二人ともしないであろうミス、ではあるのだが、二人が刃を回避する為飛び下がったその先には、彼らを支える足場になるようなものが何一つ存在しなかったのだ。
当然、万有引力の法則にしたがって、二人とも樹齢を重ねた木の梢と同じ高さから地面に向けて落下する。
「きゃっ、ちょ‥‥やだぁ〜〜!!」
高さだけで判断するなら、二人とも通常なら難なく着地できるLVの高度からの落下ではあるが、足場があるもの、と思い込んで移動し、完全に油断しきった状態からの落下だった為、落ちる時の体勢はよいモノではなかった。
特に、の体勢がひどい。このまま何もせずに自然落下するならば、後頭部を始めとする後半身が受身無しで地面とこんにちわだ。
「!」
いつもは自身の『能力(ちから)』を信頼して、この程度の事では手を貸すことをしない蔵馬も、流石に焦りの見える声での名前を叫ぶ。
だが、蔵馬の方も落下しながら、無傷で着地できるよう自分の体勢を立て直すのが精一杯で、彼女に手を貸している余裕は無かった。
「(お願い。間に合いますよ〜に!!)‥‥落下制御(フォーリング・コントロール)!!」
落下しながらが片手を宙に突き出した。彼女の手から淡い緑真珠の光を纏った気流が生まれ、彼女自身の体と、蔵馬の体を包む。
とたんに猛スピードでの落下にブレーキがかかり、音で表すならば、ふわふわゆらりとでも言うような速度に代わる。もはや落下ではなく降下とでも言うべきか。
それだけ落下速度がゆるめば、無事着地できるように体勢を立て直す事は二人にはたやすい。
二人とも、先程の慌てぶりが嘘のように余裕と落ち着きを取り戻した態度で地面に着地した。
しかし、彼らを襲撃した人物は二人に息をつく余裕など与えなかった。
間髪を入れずに新たな氷の刃が二人を襲う。
「っ‥‥なによぉ、もうっ!」
一撃目はどうにか避けた。だが、追い討ちをかけるようにの背後から二撃目が。
(――ヤだ‥‥避けきれないっ?!)
二撃目を完全回避するのは無理だと悟って、は内心舌打ちをすると、防御の為に自らの霊気を活性化させた。
急所に当たらない限りは致命傷になどなる訳はないだろうけど、あの刃を食らったらどの位のダメージをもらうのか。
今身に纏っている霊気で防ぎ切れればいいなと思いながら、痛い目にあう覚悟を固めたその時、の身体は横抱きにされて、刃の描く軌道の外へと連れて行かれた。
「怪我はない?」
自分をかばうように覆いかぶさった蔵馬の姿が一瞬空白の生まれた視界に映った最初の景色。
「‥‥ありがとう。おかげさまで無傷よ」
さっきの攻撃の威力は自分の推察が正しければ、当たって怪我をしたって、急所にクリーンヒットしない限り致命傷なんかには多分ならないはず。それはきっと蔵馬にも分かっている。放っておいてくれたって『大丈夫』の範疇に入るのに、それでも自分を守ってくれた、その気持ちが嬉しくてはにっこり笑う。
「良かった。さっきはオレが助けてもらったからね。これでチャラだ」
「そうね。これでおあいこ」
の無事を確認して蔵馬は少し笑うと、立ち上がって上空に、に見せた笑顔とは対極に位置する冷たい視線を飛ばした。
「青龍‥‥か」
蔵馬の視線の先には、死んだはずの青龍が、腕組みをして宙に浮いていた。発せられる妖気が極地帯の空気の様な冷たさで、二人を包む。
「‥‥冷たい気ね‥‥。こんな気を浴びせられる森がかわいそうだわ」
自分の妖気を評したを見た青龍の顔が興味深げな顔を見せた。
「ほぉ。そこの女も相当の霊力があると見た」
「そうよ。小娘だと思ってると、地獄で後悔する事になるわよ。気をつけなさい」
顎をくんとしゃくっては、意識的に尊大な口調を作って返答した。
「また前みたいに無様に死にたくなかったら、知ってる事を全部私達に話した後に、尻尾をまいて逃げなさいな」
無様に死ぬ、と言う言葉を聞いて、青龍の顔色が変わった。
「逃げるものに背後から切りつけるなんてまねは、よっぽどの事がない限り私達はしないから、安心して逃げるといいわ」
は高飛車な女王様の風情で畳みかけるように、彼のプライドをあえて逆なでして粉砕するようなセリフをつむぐ。
「女‥‥減らず口を叩くのもいい加減にするがいい」
「貴方の相手、蔵馬と私、二人がかりでなんて贅沢よ。私一人で十分」
脅しとも取れる青龍の言葉など歯牙にもかけず、は高飛車な女王様の態度なまま、更に挑発的な言葉を発した。
「ふんっ。それは私が決めることだ。朱雀様のため、あのお方のために死んでもらうぞ」
「あのお方?」
青龍との会話をにまかせっきりにしていた蔵馬が、初めて流れに割って入る。青龍の口から出た、『朱雀』以外の主人と推測される言葉を聞いて、の眉もいぶかしげに寄せられた。
「お前達には関係の無いことだ。お前達の仲間も白虎が相手をしている」
「あらかじめ計算済みということか」
「お喋りは終わりだ。二人仲良く粉々にしてやる!」
「ふぅん。その言葉、のしをつけてお返しするわ」
「、挑発はその位でいい。分かってるだろうけど、油断だけはしないで」
薔薇の花を取り出して鞭に変えながら蔵馬は一言釘をさす。
「もちろんよ」
短く答えて、は口の中で一言呪文らしい言葉をつぶやくと、こう言った。
「シールドバトン!」
彼女がいつも身に着けている涙滴型の青いピアスから光が漏れる。
その光に包まれて、両のピアスの石の中から、片手で握りこめるサイズの金属製らしい取っ手が左右1つづつ出現した。
その取っ手を握り締めると、は両の手に握った取っ手を引っ張る。すると、どう言う理屈で収納されていたのか、の肘から下をすっぽりと隠せる位のサイズをした楕円形の小さな盾の様な棍棒形の武器(トンファー)らしき物体がピアスの中から引き出された。
「‥‥シールドバトン(それ)持ち出すの、久しぶりだね」
「でしょ?油断どころか全力で叩きつぶす気満々ですもの。精霊使い(エレメンタラー)の怖さ思い知らせてやるわ」
そう返事をすると、はバトンを握りなおして、猫足立ちになると、ファイティングポーズを取った。
青龍も既に地面に着地して、構えを取っている。
にらみ合う3人の間の空気がぴりぴりと音でも立てそうに張り詰めた。
「行くぞっ!」
動き出した青龍を見、蔵馬とは無言のまま一瞬互いの視線を合わせてうなずき、まずはが青龍へと向かって地面を蹴った。
冷気をまとわせた拳がを襲う。だが、彼女は冷静に手に持つシールドバトンでそれをがっちりと受けた。バトンの盾部分と拳がぶつかって、甲高い金属音が上がる。
もう一つの拳も襲い掛かるが、それもまたバトンによって受け流された。
動きのスピード自体は青龍の方が若干速いようで、は攻撃を仕掛けることもできずに、防戦一方のようだ。
しかし、防戦一方とは言え、は速度のハンデを補う的確なバトン捌きで、攻撃を受け止めては流し続け、一度もまともに青龍の攻撃を喰らってはいなかった。
「ご大層なことを言った割には口ほどにもないな!」
自分の攻撃を防御することしかしないを揶揄するように青龍は言う。その揶揄を耳にしたは薄く笑った。
「いいえ。口ほどにもあるの‥‥よっ!」
返答とともに、の左の脚が上がり、しなった。文字通り鞭の様にしなやかで鋭い中段蹴りが青龍の胴に突き刺さった。
「‥‥ぐっ」
予期せぬ反撃をまともに食らった青龍の顔が歪む。
「はっ!」
間髪いれずに今度はの右の膝が青龍の腹に突き込まれた。
続けて右のシールドバトンが頭部へ唸りを上げて振り下ろされる‥‥が、さすがにこれは青龍も自らの腕でブロックする。
だがはお構いなしに今度は左のバトンで側頭部を狙って殴りかかる。しかし、これもまた青龍に防御されてしまう。
「ってぁっ!」
左のバトンがブロックされた瞬間、は右のローキックを連続で叩き込んだ。片方の脚をめがけて執拗に襲い掛かるしなやかな美脚。
繰り返される下段の攻撃から逃れようと、青龍は一歩後ろに下がった。とたんに
「せぁっ!」
青龍の頭部を狙って上段回し蹴りが飛んだ。敏捷度の差を利用して、ぎりぎりで直撃は避けるが、無傷と言うわけにも行かず、青龍の頬が浅く裂ける。
「どうしたの?私たちを二人まとめて粉々にするんじゃなかったの?」
下がる青龍を追いかけて、次々との脚が、バトンが、先程の防戦一方だった時とは一転、牙をむいて襲い掛かる。
普段はカモシカのような、と言う形容がぴったりの、の長くしなやかですらりとした美脚は、その見かけとは相反する危険で凶悪な凶器と化して青龍を追い詰めた。
「‥‥たぁっ!!」
一瞬青龍の視界にの背中が映る。次の瞬間、鋭い蹴り脚が青龍にめがけて襲い掛かった。
タイミングをずらされて青龍はかわす事ができない。両手をクロスさせてその脚を受け止めた。
見かけどおりの鋭さと、反比例する意外な重さを持った後ろ回し蹴りが遠慮会釈なしにその腕に炸裂する。
「ぐぅぅっ」
「あら。防がれちゃった。私の後ろ回し蹴り(これ)ブロックしきった人もあんまりいないわよ。め〜ずらし♪」
軽口をたたきながらも、は攻撃の手を緩めない。
「くぅっ!」
たまらずに、の攻撃射程外から逃れようと、青龍は大きく後ろに跳び下がった。だが、その行動は青龍のとりあえずの身の安全すら保障するものではなかった。
「‥‥‥!!」
無言の気合とともに、今まで攻撃には参加せずに状況を静観していた蔵馬がはじめて動いたからだ。
鞭が大きくしなって青龍めがけて襲い掛かる。すんでのところでかわしたその攻撃は、地面を大きく削った。
続けて二撃目が青龍を襲う。本来の速度差に助けられて、直撃をさける事ができたが、それでも先端が身を掠める。刺が肉を裂き、傷つけた。
蔵馬の操る鞭の射程外から外れようと、間合いを詰めれば、今度はが待ってましたとばかりに、飢えた雌豹の様に襲い掛かって、蹴りを飛ばす。
の射程外から逃れようと間合いを開くと、蔵馬の操る鞭が襲ってくる。
至近距離(ショートレンジ)に入ればに、中距離(ミドルレンジ)に入れば蔵馬にと、一分の隙も無い見事な連携で攻め立てられて、ようやく青龍は自分が二人の術中にはめられた事を悟る。
始めにが仕掛けてきた舌戦からして、綿密に組み立てられた策略の一端だったのだ。
わざと自分を激昂させて、怒りにより、判断力を鈍らせ、がむしゃらに攻撃させる。
攻防の始めは防御に徹して自分の攻撃のパターンを見切る事に専念し、見切った所で、初めて攻撃に転じて、後は、相手が倒れるか降伏するまで、自分達の攻撃可能範囲(アタックエリア)に封じ込めて、一歩も外に出さずに苛烈な攻撃を仕掛け続ける。
単純な策だが、冷静な見切りと精度の高い連携によって、必殺の策とも言えるべきLVのものとして機能し、事実、青龍は有効な打開策をいまだ見出せずに、反撃を封じられている。
「そろそろ降伏したほうがよくなくって?」
余裕の表れとも取れるの降伏勧告に、青龍は無言で地面に手を突いた。身に纏う妖気が高まる。青龍の身を守るように、と彼の間に氷の壁が出現した。
「ふぅん。そう来たの。だったら壁ごと粉砕してあげる!」
自分と青龍を隔てる壁めがけて、は先ほども放った強烈な後ろ回し蹴りを叩き込んだ。壁にピシリと大きな亀裂が入る。
だが、いくら普通の人間ではない身で、なおかつ体術を達人と言える領域まで修めていても、自身の体重と体格が影響してくる蹴りや拳の軽さまでは完全に補いきれない。
壁ごと〜などと言う言葉とは裏腹にさすがに、一撃で壁を突き破り破壊する力は女性として平均的な体格の彼女には備わってはいなかったようだ。
「‥‥やっぱり、一撃じゃムリか。でも時間の問題よ!」
そう言い放つと、もう一度、今度はその場で軽く飛び上がり勢いをつけての踵落としを壁めがけて打ち込む。亀裂がさらに広がり、壁が崩れ始めた。
「これで最後っ!」
稲妻のような、と形容できる鋭いハイキックが崩れ始めた壁面に炸裂した。粉々になって砕け散る氷の壁。
朝の光を浴びてきらきら光る氷の欠片を突っ切って、は青龍に飛び掛る。
その時だった。青龍の口元がにやりと言う形にゆがむ。
「!下がれ!」
青龍の様子に不審さを感じた蔵馬が叫んだ。蔵馬が叫ぶのとほとんど同時に、青龍の妖気がさらに高まる。砕け散った破片が生き物のようにめがけて一斉に襲い掛かった。
「‥‥っ?!きゃあああっ!!」
不意打ちに悲鳴を上げながら、それでもは、蔵馬の言葉に従い、防御の姿勢を取りながら後ろへと地面を蹴った。
自身の霊気も襲い掛かる氷の刃から彼女を守り、破片をはじき返す。だが、すべてを完全に防ぎきれるわけではなく、霊気の防御を突破した刃が幾つも、彼女の身を掠めては切り裂いた。
活動的なミニスカートから延びる美脚に、バトンで隠して顔をかばった腕に、わき腹に、全身のそこここに赤い筋がいくつも走った。後ろへと逃げるを氷の刃は逃がすまいと追いかける。
「やだぁ!しつこいぃぃぃ!!」
追いすがる氷の刃を振り切れずにいるのか、の悲鳴じみた声が再度上がった。
「くっ‥‥間に合うか?!風華円舞陣!」
無数の薔薇の花弁が蔵馬の元から飛ぶ。蔵馬の意思と妖気を吹き込まれた花弁は、逃げるを守るかのように氷の刃を迎え撃ち、赤い花弁と半透明な氷の刃が激しくぶつかる。
見かけのたおやかさとは正反対の鋭く鋭利な刃を持った花弁は氷の刃を次々と粉砕して、その主である青龍にも襲い掛かった。
その隙に、は危険なエリアを脱出して蔵馬の元へと転がり込んでくる。
「大丈夫?」
「ええ。急所は全部外れてるし、傷も浅いよ。ただちょっと痛いだけ」
ようやく安全圏まで逃げ込んだは少し苦々しげに答えた。
「‥‥で、どうなの?」
言外に青龍の強さを尋ねる。
「予想よりも強いわ。体術だけじゃ倒せない。生身の攻撃だと私じゃ非力すぎて致命傷を与えられないもの。術を併用しないとダメ」
「そう。前にあいつと戦った時からの推測だと、の体術だけでも倒す寸前までは追い込めそうかなって思ってたけど、オレ達の見通しが少し甘かったようだね」
そう返答して、蔵馬は氷の刃を迎え撃つ薔薇の花弁を一掴み増やした。
「術はどう組むつもり?」
「東洋の五行と西洋の四大元素論と向こうがどっちに強く影響受けてるかで、弱点が変わってくるからどうしようかな?」
「判別はつくの?」
「うーん。名前からすると、五行かと思ったんだけど、どーも西の影響が強さ気。五行の影響を受けてる青龍なら氷系の力じゃなくて、貴方と同じ木系か大地の力を行使すると思うから」
激しい攻防は蔵馬の妖気を受けた薔薇の花弁に任せて、策を練る二人。
「四大元素って言うと、弱点は多分炎系だね」
「そう言う事。だとすると問題が二つある」
はちょっと困ったような口調を作った。
「一つ目。私の術適性が『水』で炎術とは相性が悪いって事」
「でも、使えるんでしょ?」
「一応恥ずかしくない程度には。でも高度な術は、飛影じゃないから、気合だけで連発はできないわ」
ハイレベルな術は正式な呪文の詠唱がないと発動できないのとは付け加えて肩をすくめた。
「二つ目は、詠唱の間は、術とかの霊的な攻撃は詠唱中にできる防御フィールドがあるから問題ないけど、物理的に殴る蹴るな攻撃は防げないって事」
「それは問題ないよ。オレがいるもの。その位の時間は稼げるさ」
「ありがとう。じゃあ、お願いするね」
はそう言うと、バトンをピアスの石にしまいこみ、気を集中する為に目を閉じ、印を結んだ。
「左手は剣。右手は鞘。集え紅。燃え盛るものよ。契約に従い、我に仇なす者への破滅の使徒となれ。疾くその命の如くせよ!」
の全身から、陽炎のような紅真珠の光が揺らめく。彼女の目前に赤く燃え盛る火球が出現した。
「‥‥紅炎爆裂!」
呪文の完成と同時にはきっと目を見開いて片手を氷の刃とそれを操る青龍へ向けて突き出した。彼女の目前に出現した火球が空を切って飛ぶ。火球は自分の行く手を阻む氷の刃をその熱で消滅させながら、青龍の足元へ着弾した直後、爆裂四散して火柱を吹き上げた。紅蓮の炎が天まで届けとばかりに渦巻く。
「‥‥終わった、かな?」
一つ大きな息を吐く。術を紡ぐ為に研ぎ澄まして高めていた気を、わずかに緩めた。
「いや、まだだ。妖気が消えていない」
蔵馬の言葉が合図のように、火柱の中から、氷の刃が雨あられと二人に向けて発射された。
「やぁっぱりぃぃぃぃっ!!‥‥来ませ大地の護りよ!樹精防陣っ!」
「行けっ!」
蔵馬が二度目の風華円舞陣を迎撃に放ち、がうんざりしたような悲鳴を上げながらも、足元の下草たちに自らの霊気を触媒に気脈から引き出した大地の力を注ぎ込んで、防御の結界を作り上げた。
薔薇の花弁が討ちもらした氷の刃はが作り上げた緑の結界に防がれて、二人を傷つける事はできない。
「炎術はあれが限界?」
「ううん。もっと上級の術(もの)も持ってる」
「今すぐ使える?」
「使えない事はないけど、使いたくない」
「なぜ?」
使いたくない、と言うの返答に眉をひそめる蔵馬。
「使ったら、森が全部燃えちゃうかもしれないから嫌」
「それは‥‥まずいね」
森が全部燃える、と言う事は、同じ場所のどこかで戦っている幽助達にも影響が出ると言う事だ。
「じゃあ、どうする?このままでは、決め手がないまま不毛な消耗戦に突入だよ。もっとも、数の分、オレ達の方が若干は有利かもだけど」
「‥‥同属性の水系か氷系の術で叩き潰す方が確実かも。その方が私が自分の力も術本来のパワーも100%引き出せるから、消耗も少ないし、決着もつきやすいと思うわ」
「分かった。援護は?」
「さっきと同じ事をお願い。後、詠唱に入ると、今張ってる結界の維持はできないから、そのつもりでいて。正式な詠唱なしに強引に発動させてるから結界の機能が限定されてるの」
「了解。指一本も触れさせないから安心して」
蔵馬は手にした鞭をひゅんと軽く振って構えなおすと、臨戦態勢にはいる。
「じゃ、結界を解くから」
そういって、は自分たちを取り巻く緑の防御壁を消すと、改めて目を閉じ、精神集中に入った。
彼女の纏う霊力が急速に高まり、同時に淡い青真珠色の光がを中心に収束し始める。
物理的な攻撃からは完全に無防備になっためがけて、薔薇の円舞をかい潜った精鋭とでも言うべき氷の刃が殺到する。
しかし、その刃は全て、蔵馬の振るう鞭に叩き落された。
「左手は剣。右手は鞘。水の五芒よ門を開け。極寒の地に住まいし乙女らに我の声を伝えよ‥‥」
いくつかの印を手で結びながら詠唱が始まった。の気が鏡のように研ぎ澄まされる。それと共にゆっくりと周辺の『気』が、彼女を核にして渦巻き、集まり始めた。
詠唱に答えるように、渦巻く青真珠色の光の中から全身青味がかったミルク色をした実態のない半透明なエルフ美女が1体また1体と計3体現れる。
「‥‥久しいな同属の。我らとの『同化』を望むか?」
の呪文により召喚された氷の精霊(フラウ)達が問いかけた。
「その通り。私は貴女達の力を必要としています。氷原の乙女(ブリザード・メイデン)である貴女方の。同じ『戦乙女(ヴァルキリエ)』のよしみで力を貸してもらえませんか?」
礼儀正しく、かと言って、相手に臆する事無くは精霊語でそう言い放つと、氷の精霊達を見渡した。
「ふふ。言いよるの。確かに、そちは水の性(このさが)では珍しい『戦乙女(いくさおとめ)』。人間界(こちら)に召喚(よ)ばれるのは久方ぶりだが、噂は風の気まぐれに耳にする」
「ええ。貴女方を召喚(よ)ぶのは久しぶりですけれど、私の評判を耳にしてくれてるのでしたら、話は早いですわ。『契約』通り、私の血肉となり鎧となり剣となって下さいますね?」
「‥‥我らが嫌じゃと言うても、そちは『契約』を発動させるのじゃろうが?」
氷の精霊の乙女達は口々にそう言うと、ころころと笑った。
「その通りです。お話が早くて助かります」
「口の減らぬ事よ。まだ、人の殻をかぶっておるのに」
「それは褒め言葉だと思っときます」
紡ぐ言葉は微妙に不遜だが、の手のひらにはじっとりと汗がにじんでいた。
幾ら『契約』して自分の手足となることを承知している身とは言え、相手は『精霊』で、人間ではない。
それも、穏当で穏やかな性格のものが多い水の精霊(ウンディーネ)の眷属では珍しく、冷徹で好戦的な種族である氷の精霊で、なおかつ『戦乙女』と言われて恐れられる程の戦闘能力を有した高位精霊の『氷原の乙女(ブリザード・メイデン)』なのだ。
『同化』の前におへそを曲げられて暴走されたり、自分の言葉を曲解して意図しない破壊活動なんかされたら、この森1つ位は簡単に更地になった挙句に草一本生えない、雪と氷で閉ざされた永久凍土にされてしまう。
「力を貸してくれるお礼と言っちゃなんですけど、少なくとも、当分は『戦乙女』を退屈させる事は無いだろうと思いますよ。安心して私の中に来てください」
そう言っては少し笑った。もう少し、もう少しで『同化』してもらえる。相手が『イエス』と言いさえすれば、その時点で同化の呪文が唱えられる。
『契約』を発動した上での無理強いした同化よりは、話し合いによる穏便な同化の方がこちらの消耗も少ないから、後々の戦闘にも有利だ。
祈るような気持ちで氷の精霊達の返答を待っていたその時。
「‥‥ぐっ‥‥」
蔵馬の苦痛を訴える押し殺されたうめきがの耳に聞こえた。
「‥‥‥っ?!」
一つの氷の刃が蔵馬の腕をざっくりと切り裂いていたのだ。しかも、その刃は蔵馬の手に邪魔をされなければ、まっすぐにの胸を貫く軌道を描いていた。
(蔵馬‥‥!)
思わず口をついて出そうになる悲鳴を喉にすら上げるまいと、はせり上がる声を胃の中で握りつぶした。
見れば、今の蔵馬は、青龍の攻撃を鞭で全て迎撃する事はできなかったのだろう、所々服が綻んで血がにじんでいる。
先程をかばってその身で氷の刃を受け止めた時の事から推測すると、多分、鞭が間に合わなかった時の攻撃は、全てあの様に自らの身を盾にして文字通り『指一本触れさせない』状態を作り上げていたのだと思われる。
幸いにも、まだ怪我の程度は『普通で無い』人間の判断基準ではまだ浅いもので、『大丈夫』と言えるLVではあった。
しかし、その『普通で無い』基準を持ってしても、今の蔵馬の状態を無傷だとは、とても言えなかった。
(大丈夫。あの位なら、まだ平気。あんな怪我で、蔵馬はどうにかなったりしない。今、蔵馬を助けるよりも先に、私にはやる事がある‥‥!)
「‥‥誇り高い『戦乙女』の皆様に再度お尋ねします。契約に従い、私と『同化』してくださいますね?」
大丈夫、大丈夫と心の中でつぶやきながら、は再度氷の精霊達に問いかけた。
「どうしたものかの。少し思案させたもれ」
氷の精霊達の返事は明らかにこちらの足元を見たものだった。
確かに、自分と氷の精霊達の戦闘能力を比較すると、こっちが人間をやめてないのもあって、向こうの方が間違いなく強い。
だが『契約』を結んでいる以上、こちらと向こうの立場は同等だ。こちらが窮地なのにかこつけて、自分達を高く売りつけるために、もっとピンチになるまで手を貸さないつもりか。
それとも、這いつくばって力をお貸しくださいとでも言わせるつもりか。どっちにしろ、時間がない。
早く回答を得て、さっさと『同化』しないと、このままでは蔵馬がなます切りにされてしまう。
「思案する時間ならば、十分に差し上げたと思いますが、まだこれ以上何か考える事がおありですか?」
は内心の焦りを悟られないようにしながら、強めの言葉を発した。相手が交渉をのらくらと引き延ばす気満々なのは先程の返答で分かっている。
「ご自分を高く売り込みたいのは分かりますが、貴女方の力は十二分に存じています。ですから、これ以上の売り込みは不要です。『同化』されるのか否か、それだけお答えください」
更に畳み掛ける。
「‥‥人間はせっかちだの。もそっと気を長く持ちやれ」
の言葉をさりげなく無視して答える3人の氷の精霊達。この返答で、は完全に穏健な手段では彼女達の協力は得られないと言う確信を得た。
こちらが本気だと言う事を悟らせるLVで手荒な手段(て)を行使しないといけないらしい。
「‥‥言葉遊びも良い加減にして頂けますか?そちらがこっちの足元を見ているのは分かっているんですよ。『極光の三姉妹』殿?」
『極光の三姉妹』と言う言葉が発せられた瞬間、三体の氷の精霊達の身体が、まるで電流を流されたかの様にびくりとはねた。
「‥‥なぜその名を呼ぶ?」
「貴女方が、こちらの質問にお返事をいつまでたってもくれないからです」
の声の温度は冬の北風のように冷たく下がっていた。
「我、古よりの盟約により命ずる。極光の三姉妹よ。契約に基づき、我の命を叶えよ。叶えずんば、約定に定めし報いを汝らに与えん。疾(と)くその命の如くせよ‥‥!」
冷たい声のまま、呪文を唱える。すると、『姉妹』と呼ばれる氷の精霊達の様子が明らかに変わった。
まるで見えない何かに縛られてでもいるかのように、それぞれがもがきだす。かと思うと、まるで何かに押しつぶされるかのような苦痛の表情が浮かぶ。
今唱えられたの呪文が、何らかの苦痛を彼女たちに与えているのは確かだった。
「そろそろお返事をくれませんか?『姉妹』殿?これ以上待たせると、今度は、貴女方一人ひとりの『名前』を呼びますよ?私の『名前』も織り込んでね。契約主の名と精霊個人の『名前』の両方を織り込んだ『誓約(ギアス)』が発動した時の苦痛は今とは比べ物にならないのは、ご存知ですよね?」
は『姉妹』達に向かって薄く笑った。
「‥‥せっかちな娘じゃ‥‥」
「そのような‥‥態度では‥‥」
「殿方に‥‥好かれぬぞ‥‥」
苦しみながらも、『姉妹』達はまだそのような口をたたく余裕が残されてはいるらしい。
「その『殿方』のために急いでいるんです。さあ、お返事を下さい。私と『同化』するんですか?しないんですか?!」
わずかに声を荒げては返答をせかした。
「‥‥人間の『戦乙女』よ。先程の『我らを退屈させぬ』との言葉は真実か?」
「少なくとも、私の主観では、そうなると確信してます」
「ならば、『契約』通り、そちの願い、聞き遂げようぞ‥‥」
『姉妹』達が願いを聞く、と言う言葉を発した瞬間、それまで彼女らの顔に浮かんでいた苦痛の表情が消えた。呪文が与える苦痛が消滅したらしい。
「氷の精霊(フラウ)の乙女よ。汝は美しき黄泉の使者。白き世界の復讐の女神(エリニュス)。契約に基づき、乙女よ、我の鎧と化せ。剣と化せ。血となれ。肉となれ‥‥」
の口から新しい呪文がこぼれる。それに伴い、『姉妹』達が次々との身体の中に吸い込まれて行く。
の中に氷の精霊が一人消えるごとに、彼女の纏う霊気がゆっくりと上がる。
『姉妹』達が全て消えてしまったの霊気は通常彼女が纏っているものの少なくとも数倍の質量をそなえた物にグレードが上がっていた。
「‥‥来ませ水の護りよ。水精防陣っ‥‥!」
が一言呪文を唱えると、蔵馬とを守るように、先程の様な‥‥ただ、色が緑から蒼に変わっている‥‥結界が出現した。飛んでくる氷の刃は全て結界の蒼いバリアに阻まれて消滅する。
「蔵馬。遅くなってごめんね。もう、大丈夫だから」
は負傷した蔵馬の傍に駆け寄った。先程うめき声が上がった時より、若干負傷の度合いが進んでいる。傷を癒そうと治癒の術に集中し、癒しの力を蒼い光に変えて手に蓄える。
「そう‥‥。良かった。それじゃオレの事は後で良いから、さっさと青龍を片付けてしまってね」
だが、心配げなに対する蔵馬の言葉は、恋人にかけるものにしては、少々冷たかった。
「でも‥‥」
「でもじゃないよ。さっきの君じゃないけど、『ちょっと痛いだけ』だから。心配しなくても急所は全部外してる。この位で倒れるほど、オレは弱くないよ」
そう返事をすると、蔵馬は少し笑った。
「今、何が最優先されるべきかは、言わなくても分かるよね?それに、オレだけじゃなくて、も怪我してるでしょ?オレだけ先に無傷になる訳にはいかないよ」
「‥‥分かったわ。そうよね。私、少し順番間違えてたみたい」
蔵馬の言葉に、はっとした後、はそう返答して、手に集めた治癒の光を消した。
「まずは‥‥自分の術を自分で食らってもらいましょうか‥‥」
は目を閉じると気を高めて、結界に送り込んだ。バリアの纏う青い光が強まる。飛んできた氷の刃達は、今度は消滅せずにまるで時間が止まったかのようにぴたりとバリアに阻まれて動きをとめられた。
「鏡反射(リフレクト)‥‥!」
小さくそう呟くと、結界が一瞬カメラのフラッシュのような閃光を発した。光がおさまると同時に、氷の刃はリバースし、術者である青龍へ向かって、達へ襲い掛かったのと寸分変わらぬ威力とスピードで襲い掛かる。氷の刃は術者の青龍を容赦なく切り刻みにかかった。
「なにっ‥‥?!」
驚愕の色を青龍は隠す事ができない。今までの攻勢が嘘のように、うって変わって防戦一方へと追い込まれる。
「どう?自分の技の味は?」
青龍の放った氷の刃を全て跳ね返して、はそう言い放った。
「女‥‥いい気になるなっ!!」
怒気を隠せない青龍の声。傷を負ってはいるが、まだ、致命的なダメージは受けていないらしい。
「‥‥術を返しただけじゃ、やっぱり倒せないのね」
はそう言うと目を伏せた。
「貴方の背後にいる人達の事を、色々聞きたかったから、殺さずに済まそうと思って術を返したんだけど、それは甘かったみたい。情報が取れないのは少々痛いけど、貴方を地獄へ逆送するのが今のベターな行動みたいだわ」
はそう言うと、複雑な形の印を組んだ。
「右手は剣。左手は鞘。開け氷の門。集え凍てつくもの。契約に従い、我に仇成すものへの破滅の使者よ来ませ。使者よ汝の名は凍てつくもの。またの名を氷れる蝶。蝶よ蝶よ。汝ら疾くその命の如くせよ!‥‥氷蝶乱舞っ!!」
呪文が完成すると同時に、朝の光を浴びてきらきらと虹色に輝く蝶の群れが出現し、一斉に青龍へと向かって襲い掛かった。
冷気そのものを具現化した蝶達は青龍に襲い掛かると同時にまばゆい蒼白色の閃光を発し、青龍の体を蜂の巣状態に貫くと、その身を青龍もろとも塵へと変えた。
断末魔の悲鳴が森の空気を切り裂いて上がる。
「‥‥終わったね。裏で糸を引いてるのが誰かが聞き出せなかったのは残念だったけど」
「お疲れ様。確かにベストな解決ではないけれどベターではあるよ。当面の危機は回避できたわけだし」
今度こそ、は高度な術を錬る為に張り詰めていた気を緩めた。蔵馬も手にしていた鞭を消す。
「やれやれ。外が騒がしいと思って来てみたら・・・案の定だったね」
「師範‥‥」
「お騒がせしました」
深いため息とともに、騒ぎを察知したらしい幻海が姿を見せた。
「お宅の方には誰も行かなかったようですね。無事で何よりです」
「師範が無事と言う事は、敵の目的は師範じゃなくて、オレたちの抹殺、って所ですかね」
寺の方には襲撃が無かったらしいと言う事実が分かって、蔵馬と、両名の顔に安どの表情が浮かぶ。
「幽助達の方にも、手が回ってるようだよ」
幻海はそれだけを言い残すと、幽助達の下へと歩き出した。
「蔵馬‥‥傷、大丈夫?」
「平気だよ。さっきも言ったけど『ちょっと痛いだけ』だから。の方こそ平気?怪我もだけど、霊力の消耗が結構な事になってそうだけど?」
蔵馬の状態を案ずるを逆に案じ返す。
「霊力の方は大丈夫。確かにそれなりに消耗はしたけど、『同化』で今、体内の気自体が活性化した上に底上げされてるから、さっき程度な術ならまだ幾らでもいける。物理的にも丈夫になってるし、幽助達に手を貸すくらい、なんでもないわ」
幽助達の所に行くなら、万全の状態で行かなきゃね、とは先程青龍との対戦を優先してキャンセルした治癒の術を紡ぐ為に、癒しの力を集めた。
淡い青真珠の光を纏った水球が一つ、ふわりと二人の頭上に出現した。
「‥‥癒しの雨」
癒しの力を秘めた霧雨が青真珠の光を纏って二人に降り注ぐ。ほころんだり、裂けたりした服の復元までは流石にできなかったが、蔵馬との身体についた、赤褐色に色が変わったものの多い傷口は見る間にふさがって、傷跡一つない肌を取り戻す。
「さ、幽助達の所へオレ達も行こう」
「うん」
蔵馬の言葉には笑顔で答える。遠くに小さく見える幽助達の下へと、二人は歩み始めた。
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