今日は一年最後の日。12月31日。いい事も悪い事も、全てがリセットされて、次の新しい年へと移り変わる掛け橋の日。
それは、1年365日、年中無休に妖怪に追われっぱなしの三蔵一行にも平等に訪れるもの。
交易の中継点なのか、普段よりは大き目の街に宿を取る事が出来た一行は、確保した宿の食堂で心ゆくまで食欲を満足させた後、思い思いにくつろいでいた。約一名を除いて。
「あれ〜。三蔵は〜?」
宿の共同浴場に入る為、2階の自分の部屋から、お風呂道具一式とパジャマを持って階下に降りてきたは、いつもなら、最低3人は宿に残っているはずの面子が2人と言う事実に気が付き、怪訝そうな声をあげた。
「三蔵、なら、寺、で、坊さん、やって、る。珍しいだろ」
短く区切るセンテンスの間に、なにやら麺をすすっては咀嚼しつつ、悟空がの疑問に答えた。
「悟空、三蔵はお寺にいなくても、あれで一応、偉い事になってるお坊さんなのよ」
苦笑しつつ、は言った。
「ところで、悟空はなに食べてるの?夜食にしては量が多くない?」
悟空の目の前には既に完食した丼が3つほど置かれていた。
「え〜と、年越しそば!12月31日には、年の数だけ食うんだろ?」
「‥‥‥年の数だけ食べるのは、節分の豆だと思うよ。悟空(汗笑)」
「そうか〜。でも、やっぱり俺年の数だけ食べるよ。このそば美味いし」
元気いっぱいで返答すると、悟空はまた、そばの入った丼と向き合った。
「で、なんで『あの』三蔵法師様が珍しくも僧侶の本分を勤めようって気になったわけ?」
「街の寺院から、年越しの法会に出て欲しいと拝み倒されたんですよ」
悟空の返事では、氷解しなかった疑問を、同じテーブルで針を手にしていた八戒に尋ねる。
「へえ。でも、よく三蔵がうん、って言ったね。いつもならそんな事、死ぬ程嫌がりそうじゃない」
「何でも、ここの寺院のトップの方が、先代の三蔵法師と浅からぬ縁だったそうで」
器用にボタンつけなどしつつ、の疑問に答えていく八戒。絶妙のフォロー。
「それだけで、三蔵が動くかしら?まだ何かあるでしょ?違う?」
「鋭いですね。その通りですよ」
「やっぱり」
「年越しの法会の為に寺院に入ったお布施が、それなりにこっちに回る事になってます。まあ、直接の原因は、寺院側が手土産に持ってきたお菓子と年越しそばを悟空が食べちゃった事ですけどね」
「そっか。お礼先払いされちゃったのね。だったら、三蔵も行かざるをえないか〜」
納得、といった表情の。
「すっごいイヤそーな顔してでかけて行ったでしょ」
「ええ、すごく嫌そうな顔でしたね。正装して出かけなきゃいけないのも、苦痛みたいですし」
「どんな顔して出て行ったのかな。あたしも見たかった〜」
その場に居合わせなかったのを悔しがる。
「帰ってきても嫌そうな顔でしょうから、そっちを鑑賞してはいかがですか」
「そうするわ。ちょっと楽しみかも〜」
その場にいない本人が聞いていたら、不機嫌の化身と化してハリセンか愛用のリボルバーが出て来そうなセリフを発して和んでいる約2名。
「ところで、お風呂に出かけるところすみませんが、洗濯と繕い物が終わっちゃったんで、これを部屋にもっていくの手伝ってもらえませんか?一人じゃちょっと一度に持って行けませんので」
いつもの『あの笑顔』での八戒の『お願い』。勿論、に否やは言える訳も無く。
「いいわ。あたしはどれを持っていけばいいの?」
綺麗に洗いあがって、取れかけたボタンの付け直しも済んだシャツやタオルをはじめとする洗濯物を両手に抱え込み、八戒と2階へ逆戻りする。軽やかに階段を上がるの後を追って八戒も洗濯物を手に階段を上った。コンパスの違いから、途中で彼女を身体半分追い越して、大人二人一緒に立てるぎりぎりのスペースな踊り場でやや後ろにいるを待ち受けるように振り返った。
「」
「どうしたの?」
不意に名前を呼ばれて、少し戸惑った表情。
「今日は大晦日でしょう。年越しのお祝い。僕達だけでしませんか?」
「え?でも、どうして?」
ぱちぱちと瞬き。
「寺院側の手土産の中に、シャンパンが一本あったんです。宿の厨房で冷やしてもらってます。飲める『大人』は僕達2人ですからね。悟空にはナイショで、後でお祝いしませんか?」
ようやく腑に落ちた表情。その直後、悪戯っぽい満面の笑みがの顔に浮かぶ。
「そーゆー事なのね。わかったわ。じゃ、悟空には『ナイショ』ね」
さらに軽い足取りでは残りの階段を駆け上がった。
「‥‥ごめんね、八戒。待たせちゃった?」
湯上りのパジャマ姿で八戒の待つ部屋へと入って来る。
「いいえ。貴女がお風呂に行っている間に支度をさせてもらいましたから。ちょうど良かったですよ」
サイドテーブルには、よく冷えたシャンパンのボトルとワイングラスが2つに、どこから調達してきたのか、ワインに合うものばかり盛り付けられているおつまみの皿。
「そう?だったらいいんだけど」
「もうすぐ、年が明けますよ。年明けと同時に、乾杯しましょうか?」
提案に、こくりと頷かれる。嬉しそうな笑顔と一緒に。
「新年まで、後、2分ちょっと、かな?カウントダウンしなきゃ♪」
部屋に置かれている時計を見つめて、小さく数を数え出す。普段は纏められている青みを帯びた銀の髪が解かれ、僅かに水分を含んだしっとりとした光沢を持って彼女の周りに広がり、彩っている。青みがかった銀糸で顔や身体を縁取っている姿は、いつもとはまた違った美しさをかもし出していた。
その彼女の横顔を見ながら、シャンパンの栓を開ける。封を切ってコルクを半分程抜き、布でそのコルクとボトルの口を覆って、中身がこぼれないようにしてから、ゆっくりとコルク栓を抜いた。シャンパン特有の破裂音と共に、ゆっくりと冷気とも湯気ともつかぬ白い煙が上がる。気泡の上がる金色の液体をグラス二つに注ぎ分けると、片方をに手渡した。
「後、どの位ですか」
「あと、30秒。ありがと、八戒」
グラスを受け取りながら、目はしっかりと時計の秒針を見つめたままだ。
「25,24,23,22,21‥‥」
いつに無く真剣に時計と睨めっこしているの姿に、八戒は笑みがこぼれるのを止める事が出来ない。多分、こんな時のこんな顔のを知ってるのは自分だけだと思うから。
「12,11,10,9,8、7,6」
10からは八戒もカウントダウンに加わった。
「5,4,3,2,1、ゼロ!新年おめでと〜う!♪」
「おめでとうございます」
澄んだ音をかせてグラスが触れ合う。
「‥‥美味しい。コレ!」
金色を一口飲み干して感嘆の声。続けさまにもう一口。
「口に合ってよかったですね。気に入らなかったらどうしようと心配してたんですけど」
「ううん、そんな事無い」
のグラスの中身はいつのまにか空っぽだ。
「お代わり、いりますか」
「うん♪」
ボトルを手にする八戒へ、いそいそとグラスを差し出す。金の滝がグラスへと流れていくのをは嬉しそうに見つめた。
「ホント美味しいわ、これ。『大人』でよかったって思う」
2杯目のグラスを今度は最初よりはゆっくり傾けながら一言。この楽しみは子供じゃわかんないモノねと続ける。
「八戒は、飲まないの?」
おつまみの皿から、ビターチョコを1かけつまみながら尋ねる。口の中にカカオの香りと苦味。それに加えて押さえられた甘味がシャンパンのまろやかな甘味とすっきりした酸味に交じり合って広がった。
「飲んでますよ?」
グラスを軽く持ち上げて、残りが後一口か二口にまで減った中身を示す。
「そ〜ぉ?なんか、あたしばっかり飲んでる気がする」
はそう言って、サイドテーブルに置かれているまだ中身が確実に半分は残っていそうなボトルを取り上げた。
「あたしだけ飲んでるのも悪いから、八戒にも」
「いいですよ。お代わりなら自分で注ぎますから」
お酌をしようとするをやんわりと押しとどめる八戒。
「だぁめ。こーゆーのは注しつ注されつでないと」
こんな時でも他人に気を回してばかりの八戒を軽く睨んで。
「手酌なんかしちゃダメ。味気ないでしょ?」
「‥‥すみません」
微苦笑しながら、にグラスを差し出す。
「その『すみません』禁止!八戒が謝る必要ないもん」
差し出されたグラスにシャンパンを注ぎながらちょっとだけ口を尖らせる。
「じゃあ、なんて言ったらいいんでしょうか?」
口元には笑みを絶やさぬまま、でも少しだけ困ったような笑いと口調。
「…こーゆー時にはね、ありがとう、だと思う」
ちょっと考えた後、ずずいっと八戒の方に身を乗り出しては言う。
「その方が、『すみません』よりはずっとキモチイイよ。お互い」
「そうですか?」
「うん、そう。多分。絶対」
さらにずずっと身を乗り出す。顔が10数cmの距離にまで近づく。今までもの身体からほのかに部屋に振りまかれていた湯上りの香り。甘く瑞々しい桃の香りが濃密に漂う。
「いつも人の事考えて、いつも気を回して、八戒のそーゆー所、あたしすごく好きだし、良い事だと思う。だけど、いつもいつもそうだとやっぱりダメ」
びしっと指を一本突きつける。その頬は、湯上りとアルコールの2つでほんのりと濃い桜色。
「‥‥。もしかして酔ってます?」
彼女の言った内容は結構図星で。浮かべる笑顔は、どうしても困ったような物になる。
「ん〜、ちょっとだけ。でも大丈夫。まだ、平気。酔ってないって」
「酔ったら、お説教がしたくなる口ですか。は」
「そーゆーんじゃないけど、でも、八戒がそう言うんなら、今年初めての『お説教』だね」
頬を濃い桜色に染め、グラスに残っているシャンパンを干しながら、悪戯っ子の笑い。
「それは名誉な事だと思っていいんですか?」
「多分」
笑いながら、八戒にグラスを差し出す。
「飲みすぎは身体に良くありませんよ?‥‥っと、ああ、僕も、これが今年初めての『お説教』ですね」
たしなめながらも、グラスにはシャンパンを注ぐのは止めない。『お説教』した手前、量はグラスに半分と控えめ。お代わりの注がれたグラスをちらりと一目見て。たったこれだけ?もっと欲しかったなと憎まれ口をたたきつつも一口。
「今年初めての『わがまま』ですか」
「そうかも。今年初めて、かもね。八戒には2つも、私の『今年初めて』をあげちゃった♪」
2回目の悪戯っ子の笑い。もしかしたら、一度目の小悪魔の笑いかもしれないが。
「じゃあ、もう一つ位僕が『今年初めて』をもらっちゃっても、いいですか?」
返事を待たずに、唇が重なった。一度軽く触れ合わせた後、2度目は深々と。今の今までが飲んでいたシャンパンの味と身体から立ち上る甘くて瑞々しい桃の香りがシェイクされて甘く濃密なカクテルとなって八戒を酔わす。角度を変えて、何度か口付けて、名残惜しそうにゆっくりと離される。
「‥‥っ!八戒っ!」
目元、耳元まで真っ赤にして上げられる抗議の声。その瞳はアルコールか口付けか、その両方かで潤み始めている。
「嫌、でしたか?」
「そーゆー問題じゃないっ!‥‥ってゆーか、返事くらい聞きなさいよ。許可求めるんだったら!」
「許可を求めて、貴女から却下されるとは思っていませんでしたから」
「もしあたしが却下したらどーするつもりだったの?」
「それはありえない仮定なので、答える必要はないと思いますけど?」
『あの』笑顔全開で即答。もしかしなくても確信犯だったのかも、知れない。
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