ピロートーク



月光がカーテンが開けられた部屋へと降り注ぐ。求め合った後の甘美なまどろみからはゆっくりと目覚めた。全身を支配する甘ったるい気だるさと幸福感を楽しむように、身体を起こさないまま、視線だけを自分の右側にめぐらす。けれどすぐに視界に入るはずの隣の人の顔は見えなくて。なぜ顔が見えないのかをまだほんのり薄紅色をした霞がかかった頭で考えようとしたその時、答えは頭上から降ってきた。
「‥‥起きたの‥‥?」
服を着ている時には分からない、無駄なく綺麗に筋肉がついた上、鍛え上げられた筋肉によって失われるはずのしなやかさと優美さは微塵も失われていない、例えるならギリシャ彫刻か一流のダンサーの様な背中越しに振り返るのは、探していた人の顔。そう、探していた人は、とっくに目覚めていて起き上がって窓の外を見ていたのだ。身を起こしているのだから視線だけ隣に滑らせたのでは、視界に入ってこないのは当然。そんな簡単な事も気が付かずに、何でいなくなったかを考えようとしていた自分がおかしくて、は小さく笑った。
「うん‥‥」
返事をしながらゆっくりと身を起こす。露わになる裸身をその人の目に晒すのが恥ずかしくて、今の今まで身体にかけていたタオル地のブランケットで身体の前面を覆う。もう何度も自分の生まれたままの姿を晒し、その人に身体の隅々まで触れられているけれど、まともに意識を保っている時にあられもない姿を晒す事はやっぱり恥ずかしい。
「なに見てたの?」
いつもなら、そう言う時の後には大抵自分の顔を見つめていた相手が、珍しくそうしていない事を不思議に思って、は尋ねた。
「月をね、見てたんだ‥‥」
「そう。まだ、朝じゃなかったんだね」
ほっとしたような声。目は部屋の時計を探し、時刻を知ろうとしている。夜明けまで、あと数時間な刻限な事を確認して、はほっとしたのと何かを堪えているようなそれがない交ぜになった顔になった。
「どうしたの?そんな顔をして」
「‥‥うん。なんでもないの。ただ、もう朝だったらちょっと寂しいなと思って。それだけ」
ぺとりと背中に張り付く。後ろから首に手を回して。一分でも一秒でも長くこの人のぬくもりが欲しいから。
「やっぱり寂しい?魔界(向こう)に行っちゃうのが」
「そりゃ。ね。彼氏と遠距離恋愛になって寂しくない女の子なんていませんよ〜だ」
軽口でことさらにきゃろんと陽気に。そして可愛らしく聞こえるように。これ以上あの人に荷物を背負わせる訳にはいかない。深刻なすがるような口調なんかで言ったら、絶対、この人は気にする。これ以上重たい物なんか背負わせたくない。
「オレの代わりに、母さん達を頼む」
「うん。分かってる。任せて。お母様にもお義父様にも、ちっちゃい秀一君にも危険な事がないようにするから。何があっても私、全力で守るわ」
自信たっぷりで言い切って見せる。少しでも、背負っている物が軽くなる様に。
「ありがとう。君がいるから、オレは安心して魔界(向こう)に行けるよ」
「そう言ってもらえると嬉しいな〜。お役に立ってますって気がするもの」
返事はあくまでも陽気に。楽しげに。不安なんか微塵も感じていないように。
「向こう側は‥‥黄泉も躯も君の事はよく知らない。存在と精々人間にしては高い能力(ちから)と霊力を持っていてうかつに手出しできないだろう、って事位しか分かっていない。少なくともオレが手元に持っている情報ではそう言う結論になる。君に関しては殆どノーマークに近いよ。勿論警戒は怠らない方が良いけど、ね」
「ふうん。ほかに、私が知っとかなきゃいけない事、ある?あったら全部教えて」
無能な後方支援部隊にはなりたくないから。必要な情報は全て手に入れて、きちんと作戦を練りたい。人間界(こっち)の事で、余計な気を回さなくても良いようにしてあげたい。
「‥‥前にも話したと思うけど、義弟(おとうと)の中に、黄泉からの手先が取り付いている。空って名前で、妖力的にはたいしたことは無いけど、命根性が結構汚くてそれなりに狡猾だ。あまり手の内を見せない方が良いね。黄泉に余計な情報は与えたくない」
淡々と語る蔵馬の表情は、ビスクドールの様に冷たく整っていて、張り付いた背中越しにその横顔を見上げているの目には口調とは微妙に齟齬がある様に見えた。
相手にでさえ、一度たりとも口に出しては言わなかったけれど、蔵馬が魔界(向こう)に行くのが控えめな表現でも気の進まない‥‥はっきり言えば行きたくはなかった――事は、その微妙な齟齬を見るだけで、には分かった。
「ただし、義弟(おとうと)に何か危害を加えるようなら容赦なく始末してくれていい。不意を打って少ない手数で倒せれば、黄泉に君の能力(ちから)の全貌は分からないだろうし」
「分かった。そうする。でも、蔵馬、随分、私の事買ってくれてるのね。嬉しいけどなんかくすぐったいな。普段は『普通の女の子』相手にしてるみたいに過保護なのに」
ころころと笑う。
「黄泉は‥‥オレの事を良く知っている。母さんの事をはじめ、色々、ね。は『黄泉が知らないオレ』の数少ない一つだ。オレにとっては彼らに対抗する為に必要な大事な物だよ。切り札は敵には見せるな。見せるなら、更に奥の手を持て、ってね」
「じゃあ、私は『切り札』?それとも『更なる奥の手』?どっち?」
「‥‥どっちだろうね?」
淡々としていた口調に、ようやく笑いの色が含まれた。僅かなりとも感情の揺れを表に出してくれた事にほっとする。
「多分、両方。状況しだいで、はどっちにでもなるし、なれるよ。どっちにでも使えるジョーカーって所かな」
口調にさらに楽しげな色が一刷毛含まれる。張り詰めていた何かが少しだけ緩められている、と思えた。
「へえ。それじゃ、私って、無敵だね♪ジョーカーって、トランプじゃ一番強いじゃない。『切り札』でも『奥の手』でも使う時にはいつでも言ってね。貴方の望みのままに好きなカードになってあげる♪」
「それが嘘だとしても、嬉しいな」
「あら、嘘だと思ってたの?ひどーい。私はいつでも貴方の味方。人間界も魔界も霊界もあの世もこの世も全ての世界が貴方の敵になっても、私は蔵馬の味方よ。誰が裏切ろうとも、絶対に」
きっぱりと断言。嘘なんか、微塵も無い。例え何があっても私はこの人の一番の味方。
「私を使うならいつでも、言ってよ。ちゃんと連絡してくれるでしょ」
「うん。そうするつもり。ただ、定期的に連絡とるのは、難しいと思う、ね」
「‥‥そうなの?」
ああ、しまった。陰りのある声と口調で返事しちゃった。負担になんかさせたくないのに。
「黄泉にも、躯にも、君の事は今以上に知られたく無いから。必要な時には、こっちから連絡する。でも、ごめん。分かってる、よね?」
私からの連絡は何があっても基本的に厳禁、だと言う事は、これだけで痛いくらい分かった。今回は夏休みの間だけ。でも、人間界(こっち)に残していく身代わりの方がつき次第、またすぐにとんぼ返りして、コトの決着がつくまで、ずっと魔界(向こう)にいると言う事も知っている。今みたいな誰にも邪魔されない2人だけの時間なんか、もう、当分持てない。魔界がどんな所かはよく知らないけれど、少なくとも蔵馬が行く場所が、こんな風に暖かなものがある場所ではない、殺伐とした場所だと言う事だけは蔵馬から聞いた話だけの知識しかなくっても十分理解できた。
「ええ。分かってる」
もっとこの人の体温を感じたくて。私のぬくもりを蔵馬に覚えていて欲しくて。裸の身体を見られるのが恥ずかしくて纏っていた薄いタオル地のブランケットを跳ね除けた。私と蔵馬を隔てている薄い障壁がなくなってじかに肌と肌が触れ合う。ブランケット越しにも伝わっていた暖かさと、まどろみに落ちる前まで感じていた、女の私でも時々羨ましくなる位のすべらかな肌の感触を直に感じて、満たされていく感覚と安堵と、その二つとあわせて、今までは意識の外に追い出されていた、まだ身体の奥底に残っている埋(うず)め火。それがぞわりと掻き立てられて、慌ててまた意識の外にその炎を追い出した。心も身体も蔵馬を引き止めたがっているのを今更ながらに自覚したから。
「オレの代わりに、母さん達を頼む」
2度目の言葉に、不意に心臓がどきりと跳ね上がった。全て理解していても、頭では理解していても、それでも引き止めたい自分を気づかれた様な気がしたから。そして、もう二度と帰って来ない様な気がしたから。引き止めたって、そんな事は無駄だと分かっている。もう、この人は行くと決めている。私が止めても泣いても何をしたって行く。一度固く決心した事を私一人のわがままで簡単に覆すほど蔵馬の意思はやわでも優柔不断でもない。だから。
「うん。大丈夫。任せて」
顔が見られないように蔵馬の肩口と回している腕の中に埋めて、声はくぐもったけど、きっぱりと明るい調子で返事。今の私は、どうしようもなく『女』の顔をしている。醜くてエゴイスティックで生々しい『女』の顔を。こんな顔を蔵馬に見せたくない。見られたくない。今のこの人に必要なのは『明るくて元気で陽気な女の子』と『何でも受け止めて受け入れて癒してくれる母親』の顔で、こんな『女』の顔はいらないのだ。そんなものを見せたら、重荷を増やすだけ。それでも。

‥‥イカナイデ。
‥‥ソバニイテ。
‥‥ワタシヲ、ツレテイッテ。
イカナイデ、イカナイデ、逝カナイ、デ。

モシ、神様ガイルノナラ、コノママ朝ガ来ナイ様にシテ下サイ。
朝ナンカ来ナクテイイ。
永遠ニ明日ノ朝ナンカ来ナクテイイ。
アノ人ガ…蔵馬ガイナクナル朝ナンカ、イラナイ。

それが無理なら。
どうぞ私の全てを、身体も心もこの醜くて狂おしい思いごと、この人とひとつにさせて。
はなれたくなんかないの。

お願い。この思いごと、きれいな思いも、醜い思いも、
私の熱もちからも、この人に染み付いてくれればいい。
そのすべてが、この人を守るちからになればいい。この人を傷つけるすべてのものから。

皮膚の一枚下で渦巻くのは言葉にならない言葉。言ってはいけない言葉。これは自分のエゴだと、ただのわがままだと分かっているのに。口に出せない分回した手と腕に力を込めて。は隙間の無いほど自分の身体を押し付けた。
「どうしたの?」
問い掛けられる言葉。
「‥‥なんでもない。ただ、こうしていたいだけなの」
口に出すのは、こんな言葉だけ。後は全て自分の中に封じて。
「そう」
短い返事と共にしっかり捕まえていたはずの腕からするりと抜けられる。今までとは逆に、蔵馬の腕の中に閉じ込められて。そのままゆっくりと寝かしつけられた。
「‥‥まだ…眠くないわ」
口を尖らして拗ねて見せる。微妙に意図をずらしている事は承知の上で。
「分かってる。オレも眠くないから」
ゆったりとかけられる蔵馬の身体の重み。その重みが意図的に意識の外に追い出していたはずの身体の奥底で燻っていた埋め火が自分の無意識下でちろちろと炎をあげていた事に、今更ながら気づかせてくれる。
「‥‥‥眠るヒマなんか、ないようにして」
首に手を回して耳元で囁く。これ以上挑発的な事を言うと、きっと引き止める言葉が出るから。
「勿論そのつもりだけど?」
帰ってきた答えに、少し照れたように笑って目を閉じる。後は、二人だけで気絶しそうな夢じゃない夢を見にでかける。甘い睦言をお供にして。朝が来るまで何も考えなくて良いように。





コメントと言う名の言い訳
えーと‥‥気持ち的に少なくともR指定にはなるよーなもの書いたなと言う感じ。いわゆる性的描写が多いからR指定、って言うんじゃなくって、もうちょっと年を重ねて大人にならないと、骨の髄までこの話をしゃぶり尽くして楽しめないよ〜みたいな感じで(汗笑)(←偉そうだなヲイ)
多分、お若いお嬢さんには、意味不明、と言うか、どうして素直に言わないのかなとか何で我慢するのかなとかどうしてこうなるのかわかんない、とかそーゆー感想もあるんじゃないかな〜と(w;;の気持ちの動きとか。
若いお嬢さんでも、なんつーか色恋沙汰の修羅場一度くぐってプチうつ病とかなんちゃって摂食障害とかその辺りまでいっちゃった人なら、多分、この話は骨の髄までしゃぶって楽しめると思うんですけど(マテ)幸せな恋愛だけしてきたとか綺麗な別れ方しかしてない方にとっては、この話はまさにドリーム。夢御伽噺、じゃないかなと思います。
ああ、もしかして読者様に喧嘩売ってる?(ブルブルガタガタ)いえ、決してそんなつもりはないんで見逃して〜〜。