その娘に出会ったのは、本当に唐突で。キツネが惚れた女を連れて魔界(こっち)に仕事に来たと言うのは知っていた。あの取り澄ました顔のキツネが本気で惚れ込んでる(らしい)女と言うのはどういう顔をしているどういう奴なんだろうと言う好奇心は結構たっぷりあったから、キツネとその女がこちらにいる間に一度位顔を見に行ってみようと言う気はあったのだが(笑)
「あの。すみません。ちょっとお尋ねしますけど、35階のエリアF直通のエレベーターに行く道って、こっちでよかったんでしょうか?」
いつも通りに仕事をサボって、訓練場へとエスケープする途中だった躯は、その訓練場へと続く幅3mの大廊下で、若い娘の声に呼び止められた。
「あ?ああ?35階のエリアFか?だったらこの廊下をまっすぐ‥‥」
言いかけて、尋ねて来た娘をまじまじと見る。高くもなく低過ぎもしない、多分若い娘としては標準的な身長。色白だがけして不健康そうではない血色の良い肌。ポニーテールにまとめた栗色の髪は極上の絹糸の束のように見える。まっすぐ躯を見つめる目は上質の赤瑪瑙の色。絶世の美女、とは形容できないが、十分可愛らしく綺麗、と言うカテゴリーに含まれるLVの顔立ちをしている。が、躯がこの娘をまじまじと見つめた理由は、それ以外だった
「お前‥‥人間、だな?なぜ、人間がこの城の内部を自由に歩いている?
ここは魔界だ。人間など、次元の歪みに巻き込まれた遭難者以外、姿をみる事はまずありえない。そして、遭難者はたいていの場合気を失っており、処置が終わって魔界から人間界に戻されるまで、意識が戻る事は殆ど無い。意識が戻る事が遭っても、それは大抵混濁している。稀にきちんと意識を取り戻した者がいても、記憶を操る能力のある者か記憶操作の術を心得ている者が、記憶をいじってしまえばいい。その前に遭難者は、たいてい気力体力共に消耗しているから動ける訳が無いし、もし動けたとしても見張りを兼ねた処置担当のスタッフが常駐している処置室から出て行けると言う事はありえない。
「なぜって‥‥、蔵馬に‥‥えっと、こっちでは妖狐蔵馬って呼んだ方が良いんでしたっけ?連れて来てもらったんです。私」
娘の返答に、躯は目を丸くし、数回瞬きをした。
「‥‥‥驚いた。まさかこんな所で会えるとは思わなかったよ。お前が噂のキツネの女か」
「噂のって、私、そんなに有名人、ですか?」
今度は娘が目を丸くする番だった。
「ああ、有名だよ。あのキツネが惚れ込んだ女。それも人間の女はどんな奴かってね。この城にいる奴はみんな噂してる」
「そうなんですか?よく分かんないですけど」
娘は不思議そうに首をかしげる。
「それはそうと、自己紹介が遅れたな。オレは躯。キツネから、名前位は聞いているだろう?」
「え‥‥」
絶句する娘。さっきよりもさらに目を丸くして、その後ゆっくりと何度か瞬き。それから、躯の顔をまじまじと見つめた。
「貴方が躯さん‥‥?」
「どうした?オレの姿を見て驚いたか」
「ええ、びっくりしました」
率直な娘の返答に、一瞬だけかすかに胸が痛む。この見かけを恥じた事はなく、誇りに思っていても、面と向かれて驚いたと言われると、長い年月の中で忘れていたはずの痛みが訪れる。
「思ってたより、ずっと普通の人なんですね」
続く娘の言葉に、まあ、始めてみる人間はびっくりするだろうなとフォローの言葉を紡ごうとしていた躯は出鼻をくじかれる。
「普通の人って、おい。お前‥‥」
娘の名を呼ぼうとして、まだ名前を知らない事に気付く。
「 です。 」
にっこり笑って娘―― は自らの名を告げた。
「‥‥ 。どうして、オレが『普通の人』なんだ」
「う〜ん。どうしてって言われると困るんですけど…普通の人なんだな〜って、そう思えたから」
予想外の返答。
「蔵馬から聞いた話だと、躯さんってなんかとんでもなく普通じゃない様な気がしてたんですけど、実際こうやって躯さん本人に会ってみたら、そうじゃないんだなって分かったし」
「‥‥キツネはオレの事をなんと言ってたんだ」
別に他人になんと言われようと気にはしない性質ではあるが、あのキツネが言いたい放題にどんなある事ない事吹き込んでいたんだろうと思うと、好奇心が刺激される。
「えーと、油断ならない危険人物、だったかな〜。一言で言うと。別に悪口は言ってない、と思いますよ」
聞いた瞬間吹きだした。
「流石だな。ある意味的確だよ」
ひとしきり笑った後、ふと躯はこの娘が魔界の空気の中でどうして自由に動けるのだろうかと言う疑問に行き当たった。
「ところで、 、お前、魔界の空気の中で平気なのか。キツネから、何か処置をしてもらったのか?」
尋ねてみる。
「いいえ。蔵馬からは何も。でも、私必要ないですから。ここの空気が大丈夫な位の耐性はあるんです。ご存じなかったんですか?」
逆に怪訝そうに問い返された。
「前に蔵馬から、躯さんと黄泉さんは私の存在と大雑把な力は知ってるって聞いてたから、てっきり知っているものと思ってましたけど」
「前ってどの位前だ?」
「幽助が魔界トーナメントをやる前です。‥‥三すくみ、でしたっけ?貴方と黄泉さんと幽助がにらみ合ってた、あの時です。あの人が魔界に行く前に聞きました」
返事を聞いて首を捻る。そう言えば、 についての資料を見たような見なかった様な記憶がある。今まで気がつかなかったが、この娘からは、押さえてはいるものの強い霊気と能力(ちから)の気配を感じる。確かに、このLVの力があれば、処置などなくても魔界の空気の中で自由に動く事ができるだろう。
「あの時は、一応敵同士、だったが、 、お前はキツネの敵だったオレが目の前にいてもなんとも思わないのか?」
「別に。だって今は違うじゃありませんか。今は、蔵馬と躯さんってお友達って言うか、仲間でしょ?その、三すくみ、の時は確かに躯さんの言う通りだったと思いますけど」
お友達、発言にまた吹きだす。今度の笑いは先程のよりも長い。
「じゃあ、三すくみの時はお前はオレの事をどう思ってたんだ?」
笑いすぎて目じりからにじんだ涙をこすりつつ、躯は尋ねる。
「殺そうと思ってました」
即答。それも驚くほど物騒な内容を。さらに言うと、躯の実力を知っている者に聞かせたら、その無謀さに卒倒しかねないものだ。
「‥‥‥キツネから、オレの事は聞いてたんだろう?だったらオレの実力も知ってるはずだ。どうしてそう思える」
あきれ返った口調。
「蔵馬が帰って来る日が少しでも近づくからです。貴方の国はトップの貴方のカリスマ性が全てでしたよね。組織が無いわけじゃありませんけれど、貴方と言うカリスマを失ってまで国としての体制を維持できる程強固に組織された物ではありません。実際そうだったでしょう?」
冷静な分析。躯本人が感じていた自分のかつて治めていた国の最大の弱点とも言えるものを
はピンポイントで見抜いていた。自分を殺す、と言う発言は置いておいて、この娘は可愛らしく綺麗な見かけによらずかなりの切れ者、なのかもしれない。
「躯さんの国が無くなれば、多分残りの2国で、貴方の領土を奪い合うでしょう。でも幽助に分かりやすい形で喧嘩を売らない限り、2国間の全面戦争にはなりません。そして、蔵馬がいる限り、そう言う事が無いように、水面下で工作が行なわれますし、元々幽助は魔界統一とかそう言う野心ゼロですから、蔵馬が直に講和条約とか持っていったら、中身も見ずにサインしたっておかしくないですよ。幽助がしたいのはただの喧嘩で、戦争じゃありませんもん」
バランスが崩れた後の予測も、かなり的確だ。必ずそう言う展開になるという保証は無いが、かと言って、けして低い可能性の出来事ではない。それなりに確実な未来として予測でき得るもの、だった。もしかしたら、キツネからの受け売りかもしれないが。
「それは‥‥キツネからの受け売りか?」
「違います。私が自分で考えました。蔵馬から情報は貰いましたけど。貴方の国の事、幽助の国の事、黄泉さんの国の事。あの人は、私が知っていなくちゃいけない事に関しては、全て教えてくれました。その情報を元にしたら、大雑把ですけど今話した位の予想はできます」
‥‥確かに切れ者だ。殺そうと思ってました。と言う発言とのギャップに戸惑う位。
「お前、キツネからあの時は何を仰せつかっていたんだ?」
軽口にして聞いてみる。この様子だと、キツネはただ惚れ込んだ、とか、見た目が良かったとか好みだったとか言うだけの理由でこの娘を掌中の珠にしてる訳ではなさそうだ。
「後方支援部隊兼、『切り札』か『更なる奥の手』、どっちにも使えるジョーカーですね。蔵馬が魔界で自由に動けるように人間界でのあの人の心配事を変わって引き受けてました」
「切り札、か。随分と大層な扱いだな」
「蔵馬は、あの時分は貴方よりも黄泉さんの方を警戒してましたから。『黄泉さんの知らないあの人』の一つである私は、あの人にとって、かなり重要な物だったみたいですよ。どう重要だったのかは、きちんと聞いた訳じゃないから知りませんけど」
まさか、人間界での蔵馬の事まで知らないわけではないでしょう?との問いに曖昧に頷く。その位の事は一応記憶にとどめていた。
「で、はじめの発言について聞きたいんだが、オレを殺せる程、お前は強いのか?」
一連の的確な発言と、最初の過激な一言とのギャップを埋める為の質問。
「‥‥貴方の言う『強い』が純粋な戦闘能力と言う事でしたら、答えはNOです」
これまた即答。おかげで躯の中のギャップは埋まらない。
「ただ、貴方ほど強くなくても、貴方を殺す方法はあると思ってました
「寝首を掻く気だったのか?」
「それも一つの方法ですね(笑)とにかく貴方にある程度近づく事さえできれば、別に直接手を下さなくったって、幾らでも方法はありますし。手段はどうでもいいんです。私が糸を引いて貴方が死ぬ、と言う事実が手に入れば。その事実があれば、貴方の国はかなりの高確率で崩壊しますし、その後でさっきの予想と大体同じ方向に事が流れればそれでよかったんです。別に貴方をこの手で直接殺さないと気が済まない程、恨みとか憎しみがあった訳じゃなかったですし」
貴方と戦う事だけが貴方を殺す方法ではないんですよ。とさらに付け加える。キツネの影響なのか、それともがもともとこう言う性質なのかは定かではないが、にこやかに過激かつ物騒な発言を行なう娘だ。
「躯さんと私達が、これから前の様に敵対する事はありえないと思うから言いますけど、私が貴方を殺せると思った最大の理由は私が人間で貴方がとても強い力を持っている妖怪だって事ですよ」
「それは、どう言う事だ?」
いぶかしげに尋ねる躯。それはそうだろう。人間と妖怪とを比較すると、例え『普通の』人間でなかったとしても、妖怪に比べて人間と言うものはどうしても『脆くて弱い存在』になる。どちらが生き物として下等か上等かと言う問題ではなく。
「躯さん、貴方は今まで生きてきて、人間に殺されるかもしれない、と思った事はありますか?」
「‥‥ないな」
「でしょう。だからですよ。もっと言うなら、あなたが人間を食事にしている種類の妖怪だからです」
にこにこと笑顔で言う 。
「自分が捕食している存在から、逆に自分が捕食されたり襲われたりされると言う自体を想定している捕食者って、殆どいませんからね。『食事』がぱっくり口を開けて逆に自分を食事にするなんて、誰も考えませんよ。私だって思いません。私は、躯さんから見ると捕食される側だから、意識的に気を付けないと、私に対する警戒は高いレベルの物にはならないでしょう。多分。油断しきっている貴方だったら、実力差があっても私が勝てるかもしれませんよ?」
「‥‥そう言う事か」
納得したような呆れかえった様なそう言う口調の躯。ちょっと勝気そうではあるが可愛らしく綺麗な見かけと、友好的な笑顔と反比例する様にと名乗るこの娘はかなりの食わせ物だ。こう一筋縄では行かないタイプだからこそ、キツネのお眼鏡にかない、手元において愛でられているのだろうなと思える。ただ、食わせ物ではあるし、ある意味不愉快な発言を連発してるにもかかわらず、彼女個人を不愉快な人物だと躯は思えなかった。むしろ『好ましい』タイプだ。
「あっ、誤解しないでくださいね。今は別に躯さんを殺そうとか傷つけようとかそう言う事、ぜんぜん思ってませんから。ただ、その時はそう考えてたってだけの話です」
両手を軽く上げて、敵対する事はないという意思をアピールする。
「たいした娘だな‥‥。人間にしておくのは惜しいよ。当然キツネもおまえがこういう腹積もりだったという事は知っているんだろうな。」
微妙に揶揄するような面白がっているような、そんな色の声で躯は言う。
「いいえ知りません。少なくとも私があの当時躯さんを殺そうとか思ってた事は。誰かに言うのも躯さん、貴方が初めてです」
「キツネは‥‥知らないのか」
今度こそ躯は本当に呆れた。
「あの時は『緊急事態』だったから、結構突っ込んだ事まで任せられましたけど、元々あの人は、私に対してはかなり『過保護』なんです。出来る事ならこの手の面倒事にはタッチさせたくないみたいですよ。だから、あんな事考えてるなんて蔵馬に分かったら大変です。そんな事お腹の中で考えてるって分かったら卒倒されちゃうし、その後でどれだけ叱られるか分かりませんもの。怒らせると怖い人だから、怒らせたくないです。できるだけ、ね」
肩を竦め、少しおびえたような表情。蔵馬に叱られる事はにとって恐怖な出来事の一つらしい。
「‥‥そこまで秘密にしてた事を、どうしてオレには話す気になったんだ?」
予想外の返答に、好奇心がうずく。こうなったら、きちんと最後まで確かめないと気が済まない。
「う〜ん。話の流れもありますけど、何より、躯さんが私と同じ女の子だから、って事が一番の理由ですね。こう言う話はやっぱり男の人にはし難いですよ。コワイオンナだと思われちゃうから」
「‥‥‥どうして分かった?オレはそうだとは一言も言っていないが?これも、キツネからの『情報』か?」
意図的にではないにしろ、隠していた事実を指摘されて、いぶかしげに問い掛ける躯。
「いいえ違います。‥‥って言うか、教えられなくても見れば、分かります。正確には貴女のオーラ‥‥妖気って呼んだ方が良いんでしょうか、それを見れば。私、『精霊使い(エレメンタラー)』ですから、そう言うの見たら分かるんですよね。生者と死人、男と女じゃオーラが全然違いますし」
ほどけた靴紐を結ぶような気軽さで返答する。
「で、折角女の子同士なんだから、躯さんにお願いがあるんですけど。いいですか?」
にこにこと人畜無害な無邪気なスマイル。
「‥‥お願い?なんだ。一体」
躯は、またしてもペースを乱されつつある。
「お友達になってください。ここは結構居心地もいいし悪くない所だと思うんですけど、話し相手になってくれる様な女の子のお友達がいないから、私同じ女の子のお友達が欲しかったんです」
言いたい放題好き勝手を話した後、最後に出てくる言葉がこれだとは。予想外もいいところだ。それ以前に、生まれて来て結構な長い時間を過ごしている身だが、自分に対して『お友達になって欲しい』と面と向かって言った者は、もしかしたらこのが初めてではないだろうか。正確な年月を覚えていない位長く生きていても初めての経験に、躯はどう返答していいか迷っていた。
「‥‥やっぱり、ダメ、ですか?」
心配そうに頭半分位高い所にある自分の顔を見上げてくる。気の強そうな印象の顔が、急に捨て猫の様な頼りないものに変わっている。本人が意識的にやっているのかどうかまでは知らないが、結構男の保護欲とか庇護意識とか、そんなものを刺激してたまらないような顔だ。どこまで抗いきれるのかは知らないが、この顔にも、きっとキツネはヤラレテしまったはずだ。
「ダメだとは、まだ言ってな‥‥」
「じゃ、いいんですね!ありがとうございます!」
まだ言ってないんだが、と躯が全て言い終わらぬ間にがその言葉を遮って、喜びの声を上げ、心配そうな顔から一転、喜びに溢れた顔になる。そのあまりの変わり身の早さに躯は戸惑う。
「良かったぁ。これで、私たち、もうお友達です♪」
満面の笑みで、 は躯の両の手を自分の両手で握って大きく上下に振った。握手、のつもりらしい。生身の手、機械の手、どちらにも の柔らかな手のひらの感覚と、暖かな体温が伝わる。
「 」
「なんです?躯さん」
「もう一つ、確かめたい事があるんだが、確かめていいか?」
「なんでしょう?分からないですけど、私に出来る事なら、どうぞ」
しっかり握っていた躯の手を離し、きょとんとした顔で問い掛ける。
「大丈夫。お前なら多分出来るさ」
そう言った躯の顔が、悪戯っぽく笑っていた。何か面白い物を見つけたかのように。
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