「今日は残業もないし、退屈で死にそうになったお詫びに、今日はオレが夕食は作りますよ。は何が食べたい?」
ほんの数時間前、激しく火花を散らしたのと、同じ場所で、蔵馬は尋ねた。
「え?え〜と、美味しい、かな?」
「了解。デザートには何が欲しいですか?」
「あ、デザートはねぇ‥‥昨日躯さんからアイス貰ったの!」
躯、と言うその名を聞いて、退出してきた会議でのやり取りや、普段彼女の職務怠慢とずぼらさから目の前の最愛の恋人と過ごす時間が奪われていると言う事実を思い出して、傍らのに分かるほど明確には表わさなかったものの、蔵馬の表情が不快感を内に秘めたものに変わる。彼女自身が躯の名を口にすることで、の自分への気持ちが揺らぐなどとは思ってもいないが、だからと言っていい気持ちがする訳でもない。
「とっても美味しかったから、蔵馬にも食べさせてあげたいなぁって思って」
蔵馬の内心の微妙な葛藤を知ってか知らずか、繋いだ手だけでは足りないと言う様に、じゃれ付くように柳のようにしなやかで柔らかな身体が蔵馬の左の腕を絡み取るように抱きしめる。腕の全体で感じられるの体温と柔らかさとしなやかさ。甘いけれど甘さだけではない、奥に爽やかさと大人びた艶を秘めたトワレの香りが、彼女自身の甘い体臭と混ざってたちのぼった。最近あまり構ってくれなかった恋人が、自分を構ってくれて、嬉しい。優しくしてくれて、嬉しい。その嬉しさを素直に表しただけ。おそらく自身にはそれ以上の他意のない、何気ない仕草だったのだろうが、1歩間違うと誘惑とも取れるものだったことに、そして、彼女に他意が無いことに気がついたその上で、その一連の行為と言葉が、蔵馬に味覚以外の五感全てと理性に甘痛い痺れを走らせた事に、多分、本人は気がついていない。
「蔵馬の分もとってあるから、二人で一緒に食べよ。ね(はぁと)」
「そうだね」
腕に絡みついたまま自分を見上げるの額に一つ口付ける。
「きっと、の言う通り」
を包み込むように身体の向きを変え、自由になる方の手を使って抱きしめると、耳元を掠めるように、悪戯心と彼女自身は行為にも言葉にもその意味を込めたつもりは全くない、隠された意味、蔵馬の理性に甘痛い痺れを走らせたのと同じ意味を込めて、低いトーンの声で意味深に呟く。
「一緒に、食べたら、飛び切り美味しい、デザートになりそう、だね」
「ううん、きっとじゃなくて、絶対!なの。
蔵馬の言葉に込められたダブルミーニングに気がつかないまま、力強く肯定の言葉を述べる。
「だって‥‥」
更に強調しようして、ふ、との言葉が途切れた。ようやく秘められた真の意味に気が付いたらしい。
「あっ‥‥、やだ、蔵馬。そういう、意味じゃ、ないから」
頬を朱に染めて、途切れ途切れとは言え、力一杯否定する。
「そういう意味って?なんの事?」
わざととぼけて見せる。
「ね。だから。違うの‥‥」
身体全体で絡み取っていた腕を、慌てて放して。気付かされた意味が自分の本心ではないと言うかのように蔓薔薇のように寄り添っていた身を、引き剥がそうとして、自分を抱きしめる為に腰に回されていた腕に阻まれる。
「違うって、何が?オレの言ってる事、どういう風に解釈したのかは知らないけど、一体どうしたの?」
「どうもしてるけどしてないぃぃっ!」
気が付かなかったとはいえ、冗談抜きに人通りのあるこの大廊下で、ちょっと頭を捻ったらすぐ分かる過激な発言を力一杯行なってしまったと言う事実に気が付いた今、発言が頭の中を何度もフィードバックして、恥ずかしさに死んでしまいそうだ。
「‥‥もしかして、まだ、退屈で死にそうだったこと、拗ねてたりしてる?」
何で『どうもしてるけどしてない』なのかは分かっている上での、わざと微妙にシンクロしているけど、的外れな質問。
「そのモシカシテは、100%ゼロではない、けど、そっちじゃなくって〜」
「ご機嫌斜めなのは分かってるけど、そろそろ仲良くしてくれないかな?」
さっきからずっと赤面しっぱなしだったは、その言葉を聞いて、更に顔を染めた。
「‥‥‥やぁだ‥‥」
「ウソばっかり」
唐突に奪われる唇。
「ウソばっかり付く口へのお仕置きは、こうしてふさぐのが一番いいね」
「‥‥蔵馬‥‥やめて‥‥」
「それも、ウソだね♪」
また唇が塞がれる。
「恥ずかしいから‥‥お願い」
抗う言葉を一言呟くたびに、降ってくるのはキスの雨。
「お願い、もう、やめて‥‥」
「素直に本当の事を言ったら、やめてあげるよ。いつでも」
言われると同時にまた降って来たキス。幾度となく受けたキスに目眩がしそうだ。
「死んじゃいそうだから、やめて‥‥」
落とされる唇から、蔵馬の胸元に両手で突っ張る事で、必死で逃げながら、もう一言。
「幸せすぎて、死んじゃいそうなの!‥‥だから‥‥もう、許して」
キスの雨で、きれぎれになった呼吸を整えながら、困ったような甘い声音。
「‥‥よく言えました。どうしてはじめから、そう言わなかったの?」
蔵馬はにっこり笑うと同時に、をきつく抱きしめると、口付けた。
「やめてって、言ったのにぃ〜」
「さっきまでのは、お仕置き。今のはご褒美のキス」
しれっと発言する辺り、確信犯。
「もう!死んじゃうっていったのに〜〜」
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