「‥‥。おかしいな。留守か?」
キツネの思惑に乗るのも癪だが、と遊べる方がよりメリットがあると判断して、蔵馬との部屋を訪れた躯は、ドアの前で首をひねった。
何度チャイムを鳴らしても、部屋の中から反応が返ってこなかったからだ。蔵馬の 話だとは『部屋で退屈している』はずだから、中にいるはずなのだが。
とりあえず、もう一度だけ試してみるかと、呼び鈴のボタンを押す。少々間の抜けたチ電子音のチャイムの後、たっぷり10秒ほどの間を空けて、ようやく返答がかえって来た。
「‥‥はぁい‥‥どちら様でしょうか?」
余り音質が良いとはいえ無いスピーカー越しにも、それと分かる、どこかかったるそうで眠そうな声のの返事。
「オレだ。遊びに来たぞ」
「‥‥躯さん?」
「ああそうだ」
「今、起きたばっかりだから、勝手に上がってくれていいですよぉ‥‥」
それだけ言って、ぷつんとの返答は途絶える。の言葉通り『勝手に』上がろうとドアノブに手をかけると、ドアにはしっかりと鍵が。躯は小さく舌打ちをすると、蔵馬に渡されたカードキーをドアノブの下にあるスリットに
突っ込んで、ドアを開け、室内に入る。エントランスを抜けると、広々とした居心地の良さそうなリビング。だが、部屋の主の姿は無い。
声を上げるのも面倒くさくて、躯は広い部屋のどこかにいるだろうに念話を飛ばした。
(おい。。どこにいるんだ)
(寝室ですよぉ。今起きたばかりなんですぅ)
妙に間延びした気だるげな念話が帰ってきて、躯はなんとなく嫌な予感がした。そして、寝室の扉を開けた瞬間、その『嫌な予感』は的中した。
ドアを開けた瞬間、明らかに情事の‥‥それも胸焼けする位こってりした‥‥後だと分かる、濃密な空気が躯を出迎えたのだ。
「‥‥キツネめ‥‥。そう言うことか」
蔵馬が何で、キーを渡すなんて事をしたのかを瞬時に悟って、躯は呟いた。何のことは無い、嫌がらせのメインディッシュのためだったのだ。
広いベッドの上に布団で包まれた人間大の塊があって、がまだその中にいることを躯に教えてくれた。
「おい。大丈夫か?」
近づいて声をかけると、頭まですっぽりと布団に包まっていた物体がもぞもぞと動いて、が頭だけ布団から出して躯の方を見た。
「あ‥‥躯さん‥‥」
だるそうな顔と声で、は返事をする。
「骨を拾いに来てやったぞ」
「‥‥ありがとうございます。お客様に悪い事しますけど、お茶菓子は台所から勝手に持ち出してくれて良いですよぉ」
台所、という言葉と共に、布団から出されてドアを指差したの手、その手首に何かが巻きついたと思える鬱血した痕が、腕のそこここには花弁の様な赤い痕が付いているのを見て、躯は盛大に胸の内でため息をついた。
別にその場面を見たわけじゃないが、蔵馬が何をしたのかが、自分の過去の経験と照らし合わせて瞬時に大体の察しが付いたからだ。
「お茶菓子取りに行くついでに、私にも何か飲み物とって来てくれるとありがたいですけど」
そう言いながら、ずりずりとだるそうに身を引きずると、は枕を支えに半分だけ身体を起こした。どうやら、と言うか、当たり前と言うか、布団の下は一糸纏わぬ‥‥と言うやつのようだ。
ついでに言うと、布団で隠れていない剥き出しの首や肩や胸元にも、色の濃淡はさまざまな蔵馬の付けた赤い花弁が散っている。
「‥‥昨夜は、大変だったようだな」
どう声をかけていいのか少々迷いながら、とりあえずねぎらいの言葉をかけてみる。
「え?ええ、まあ、そう、です…ね」
言葉を微妙に濁し、頬を染めながらは答えた。
「‥‥躯さん、あの人が実は狐じゃなくて、インキュバスだったって言う噂とか、聞いたこと無いですか?」
げっそり、と言う言葉を絵に描いた様な表情でたずねる。
「悪いが、そう言う噂は流石に知らん」
「そうですか‥‥」
「相当可愛がって貰ったようだな。ま、あれだけ過保護だとそうなってもしょうがない気もするが」
自分の執務室に訪れた時のえらい機嫌のよさげな蔵馬の様子を思い出しながら言う。そりゃ上機嫌なはずだ。これだけ派手にイイコトをした後だと、さぞかし機嫌もよかろう。
「‥‥死ぬかと思いましたよ。てゆーか、止めてください。そーゆーの。恥ずかしいから」
派手にため息をついては、頬を染めた。その後、何か言いたそうに頬を染めたまま、うつむいてもじもじとしていたが、やがて、意を決したかのように顔を上げた。
「躯さん」
「なんだ」
「あの‥‥」
「どうした。言ってみろよ」
「あの…ですね。あの…昨夜の事でちょっと聞きたい事があるんですけど」
「‥‥惚気話か」
「そうじゃなくって!こっちの人たちの一般的な事情が知りたいだけなんですってばぁ!‥‥ええと、あの、比較対象が無いから標準がどうなのか分かんないし、その前に、躯さん以外にそんなコト話せる妖怪のお友達はいないし!」
顔を真っ赤にし、泣きそうな声を出しては弁明する。微妙に惚気だが、躯を始め昨日の見物人全ての『防波堤』になった本人にとってはだいぶ切実らしい。
「分かった分かった。聞いてやるから機嫌を直せよ」
躯の言葉に安心したのか、は、遠回しで抽象的な言い方で、手合わせの後、何が起こったかを簡単に説明すると、耳の先まで真っ赤になってうつむいた。
「‥‥俺もだいぶこっちの世界でも一般的じゃ無いから、基準が壊れてると思うがな。お前を一晩寝かさなかっただけなら、こっちだとたいしたこっちゃ無い、と思う」
盛大に笑いたい所を我慢して、を落胆させないよう、真面目な口調を作って躯はの疑問に答えた。
「‥‥そ、そうなんですか?」
引きつったような返答。
「けどな、その話の通りのコトやってるんだったら、あいつは化け物の部類に入ると思うぞ。多分な。そこまで派手にやっといて、次の日何事も無かったかのような涼しい顔して仕事してやがるんだから」
「そう、ですか‥‥」
疲れきった声。
「あきらめろ。どうせ幸せなんだろう」
それ以外、何をどういえと言うのだ。バカップルに付ける薬なんかあるわけ無い。
「えっ。ええ。でもぉ‥‥困りますもん‥‥」
惚気以外の何者でないの返事に、聞いている躯にもがっくりと疲労感が襲ってくる。キツネめ。いい加減にしろよ。次は、マジでぶっ飛ばすぞ。
この場にいない性悪狐に躯は呪いの言葉を胸の内で吐き捨てた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※の所は禁書の間にて読めます。
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