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「ふむ。あいつらは完全にこの場からは立ち去ったようだね。気配が消えている」
敵が完全に立ち去ったのを見てとると、幻海が二人の側へと近寄ってきた。
「どれ、傷を見せてごらん」
そう言って、ようやく出血の止まったの足を覗き込んだ。
「こりゃまた派手にやられたもんだねえ。一発は貫通してるから問題ないけど、もう一つはまだ傷口に弾が埋まってるじゃないか」
「すみません。師範。でも、こうしないと頭を打ち抜かれてたはずなので。流石に至近距離で頭撃たれたら普通に死ねますから、だったら足一本捨てた方がいいかなって」
えへへ、といたずらっ子のようには笑うと、少し肩をすくめる。
「ほら、じっとしておいで。傷を治す前に、足に埋まった弾を抜くからね。悲鳴なら幾らあげてもいいけど、暴れるんじゃないよ」
幻海はそう言って、の『弾が残っている』銃創に無造作にずぶりと手を入れる。まるで水の中に手を浸すかのように、の足は血を流すこともなく幻海の手を飲み込んだ。
「‥‥っぅうぅっ」
びくりとの身体が大きく跳ね、押し殺した悲鳴が唇からこぼれた。身体には何の傷もなくとも、傷口に手を突っ込まれて中を探られる事は、かなりの苦痛を伴うのだろう。
「暴れるんじゃないって言ってるじゃないか。しょうがないねえ。蔵馬、この娘が動かないようにもっとしっかり捕まえときな」
「はい。師範」
くすくす笑いながら、蔵馬はの身体を自分の元へと引き寄せる。片方の手はウエストから肩へと回して抱きしめると、もう片方の手で、傷ついた脚を押さえた。
「ちょ‥‥蔵馬‥‥だめ、汚れちゃうって。貴方の服にまで血がつくから駄目っ」
ただ、肩を借りるだけだと思っていた相手から急に抱き寄せられ、困惑の声があがる。
「別にいいよ。オレは気にしないから」
「だって、洗濯がたいへ…っくぁ、うぅっ‥‥!」
重ねて蔵馬から身体を引き剥がす為の言い訳を言おうとしたの口から、押し殺した悲鳴がまた上がる。今度は蔵馬の腕にしっかりと抱きしめられているおかげで身体は跳ねない。痛みをこらえる為なのか反射的にの手が、蔵馬の肩口をぎゅっと握り締めた。
「ほら、取れたよ。散弾や大口径の銃でなかったのが不幸中の幸いだねえ」
言いながら、幻海はの脚の傷に手を当てると、治癒の霊気を送り込んだ。
「‥‥ありがとう、ございます。幻海師範」
「なぁに。礼には及ばんさ。自力で歩ける程度にしか治していないから、後は自分で面倒見るんだよ」
幻海はくるりと踵を返すと、倒れている人々にも霊気を注いだ。
「騒ぎが大きくなる前に立ち去りましょう」
これから先の後始末はあいつらがしてくれるはずですし、と、付け加えて、蔵馬が二人を促した。続けての手を引いたかと思うと、瞬く間に自分の背中に彼女を背負った。
「‥‥やだ。大丈夫だって。歩けるから!」
幼児か赤ん坊の様に背負われたのが恥ずかしいのだろう、は頬を真っ赤に染めて抗議の声を上げた。
「師範に治してもらったもの。だから平気だもん。早く下ろして!」
「でも、『オレ達の普通』の早さでは歩けないでしょう?」
そう言うと、蔵馬はの抗議の声などどこ吹く風で、先行する幻海を追って足を運び始める。騒ぎが大きくなる前に、3人は廃ビルを後にした。
「あいつらは妖怪じゃない。それは間違いないね。けど、何かが普通の人間とは違う」
寺へと続く石段の下で、重々しく幻海が言った。
その言葉に、は目を伏せ、蔵馬も考え込み、ぽつりとつぶやいた。
「一体、何者なんだ‥‥?」
「霊界の方で何か掴んでないかねぇ。コエンマに連絡を取ってみたらどうだい?」
幻海の提案に、
「…そうですね。そうしてみましょう。」
蔵馬もそれに同意する。
「とりあえず、今晩はもう遅いから、2人ともここに泊まっていきな」
「はい、ありがとうございます」
結局蔵馬の背に背負われたまま、ここまで連れてこられたが礼を言う。
そのまま、幻海はさっさと石段を昇って行ったのだが、ふと立ち止まり、2人を振り返って茶目っ気たっぷりに言った。
「‥‥2人一緒の部屋でも構わないけど、いちゃつくのは他所でやっておくれよ?」
「分かりました。多分そうなりますから、その時にはご迷惑がかからない様にします」
さらりと自然な調子の蔵馬の返答を、
「蔵馬、ちょっと!師範っ!そんな事ありませんからっ!!」
顔を真っ赤にして、が否定する。
「若いってのは、いいねぇ‥‥」ふふっと幻海は笑うと、寺の正門をくぐって行った。
「‥‥もうっ蔵馬ったら、なんてコト言うのよぉ」
幻海の姿が見えなくなった後で、は改めて抗議の声を上げた。
「さっきもさ、私の事カーリーだなんだって、言ってたしぃ‥‥」
「でも、女神様だよ。それも人々にあがめられる立派な女神様。どこがイヤなの?」
石段を上りながら蔵馬はに問いただす。ちなみに、石段を昇る前に彼女が言った、もういい加減に下ろしてくれと言う抗議は却下を通り越して完全に無視され、相変わらずは蔵馬の背中の上だ。
「だって、カーリーって言ったら、凶暴で残忍な、怖い女神の代名詞じゃないの。私の事そんな風に見てるなんてひどいわ」
人類が宇宙に行ける今現在でも、どうかすると祭祀で生贄をささげる事もあったりなかったりな血生臭く恐ろしい女神と同じだと言われたのには乙女心が傷ついたのだろう。拗ねた7割不機嫌3割な口調では口を尖らせた。
「じゃあ、は何にたとえてもらいたかったの?」
「ヒンドゥー限定なら、ドゥルガーがいいかなぁ。他の神話でもいいんだったらアテナとか」
別に、アフロディーテとかラクシュミーと言えとまでは言わないけどさぁ、そう付け加えると、は機嫌が悪いです、と言うことをアピールする為なのか、口をへの字に曲げた。
「ん〜、オレ的にはその両方とも全部却下なんだけど」
「何でよ!ひどい!私そんなに凶暴な女じゃないもん!!どうしてそんな事言うのよ!!」
今度こそ本当に腹を立てて、は噛み付いた。
「だって、ドゥルガーもアテナも、一人じゃないか。そんなのオレは嫌だ」
「何?それ?どういう意味?」
怒鳴る事こそやめたものの、怒りの色を隠そうともしない問い質(ただ)し。
「二人とも確かに強くて美しいし、そこだけ見て譬(たと)えるのなら、彼女達の方が君には相応しいとは思うよ。でもね。二人ともいつも一人でしか戦わないから。どんな戦いでも、彼女達はいつも一人だ。けれど、カーリーだったら、シヴァ神が傍にいるからね。肩を並べる事も、戦う君を後ろで支えてあげる事も出来るから」
「え?」
いぶかしげな声があがる。
「そりゃね、四六始終一緒に戦う必要もないし、一人で戦う時もあるよ。でも、君がいつもそうなのはオレは嫌だ。昔の、が誰にも頼らずに一人で戦ってた時のことを知ってるから余計に嫌だ」
そのセリフを聞いて、の今まで釣り上がっていた眉が下がった。
「君が一人でも平気なのは分かってるよ。でも、一緒に戦える時にはそうしようよ。そうすれば、オレと一緒にいる時だけは、君は味方も恐れる血塗れの残忍な女神にならなくても、オレが大好きな優しい女神のままで戦えるから。元々カーリーはそう言う女神だもの」
蔵馬の返答に納得したのだろうか、はそれ以上、反論するのをやめて、口をつぐんだ。蔵馬が石段を上がる靴音と、暮れて行く夕日を惜しむかのように鳴く蝉の声だけがあたりに響く。
「‥‥蔵馬」
「なに?」
「あのね‥‥その…ありがと。私の事、褒めてくれて」
背中にいるが、照れ臭そうにつぶやいた。
「ホントはね。ちょっとだけ、ホントにちょっとだけだけど、心配だったんだ。だって、あれだけ沢山の人を操る術の使い手だし、その力が貴方独りに注ぎ込まれるとどうなるかなって」
とても回りくどい言い方だが、はやっぱりアプサラスが蔵馬を誘惑した時の事が引っかかっているのだろう。まあ、無理もない。アプサラスが世の男性方がつい目で追ってしまうだろう容姿と肢体の持ち主なのは否定のしようがない事実だったし、『世間一般』の基準だとおそらくよりは彼女の方が魅力的だと思う人間の方が多いのも多分間違いないだろうから。
「どうもしないよ。オレは狐だから、どっちかって言うと人をたぶらかす側だしねぇ。そう簡単に惑わされる訳にはいかないし」
拍子抜けするほどあっさりと蔵馬はの内心の不安を否定した。
「もし、君の考えてる事がその通りになっても別にどうって事ないよ。そう言う時の為に二人でいるんだから」
それこそ、君の真似だけど何くだらないコト言ってるの?だよ、と続ける。
「そんなにくだらない事?」
どこか微妙に不安と言う名の揺らぎがある声で、は再度聞き返した。
「‥‥あのね。アプサラスと君を比べること自体が、オレにとっては苦痛だし、無意味なんだよ?だから、もうこの話はここでおしまい」
なだめる様な、でも、ピシリと筋の通った声音で、蔵馬はきっぱりと不毛な議論を切り上げようとする。
「大体、彼女にしなだれかかられるよりも、今君を背負ってる方がオレにとっちゃ遥かに刺激的な誘惑だもの。今の方がよっぽど苦行だし大変なんだから。本当に、自分の理性が愛しいと思うよ」
わざと大げさにため息を一つつくと、蔵馬は声を上げて笑った。
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