「‥‥‥ん」
目を覚ましたら飛び込んできたのは天井。
「ああ、気が付きましたね。」
耳に入って来る、柔らかな声。目に飛び込んでくる、漆黒と翡翠。
「八戒?私‥‥」
「ここは、今日泊まる予定だった街です」
『いつもの』の笑顔で告げる八戒。
「よく眠ってましたよ。あんまりぐっすり寝てるものだから、悟空なんか、起きてこないんじゃないかって、すごく心配してました」
「そんな、悟空ったら、大げさなんだから‥‥」
寝かされていたベッドから、身体を起こそうとして、は自分の身体に思う様に力が入らないのに気付いた。意識を取り戻した直後には感じられなかった体のだるさと脱力感。加えて、熱っぽさと若干の悪寒。起き上がろうと掛け布団とじたじたもふもふと格闘している。その様子に、八戒は、何処から調達してきたのか、大きな羽枕とクッションを半分身を起こしかけているの背中にあてがって、楽に身体を支えられるようにとりはからう。
「無茶したらいけませんよ。折角傷も治したんですから」
「え‥‥?」
その言葉に、は意識を失う直前まで感じていた、左腕付け根から肩にかけての痛みが消失しているのに気づいた。
「もしかして、八戒‥‥」
「そうです。跡も残らずに綺麗に塞がりましたよ。心配しなくても大丈夫です」
傷、治してくれたの?と尋ねるの問いを先取りする返答。
「他のみんなは?」
「悟空と悟浄には買出しに行ってもらいました。三蔵は自分の部屋にいるはずですよ」
「そう」
「お医者様の話では、2,3日は安静が必要だそうですから、大人しく寝ててくださいよ?」
喉、乾きませんか?と差し出された冷たい水の入ったグラスと共に、釘をさす言葉。
「三蔵は2日で治らなかったら置いていくとか、相変わらずな事言ってますし」
ゆっくりとグラスを傾けて、喉の渇きを癒しているを眺めつつ、軽く、ため息混じりで一言。
「三蔵、そんな事言ってたんだ‥‥」
やや俯き加減になったの心中を察したのか、八戒は断固とした口調で言った。
「三蔵は置いていくと言ってますけど、僕がそんなこと絶対にさせませんから、は安心して、自分の身体を治す事だけ考えて下さいね」
「だけど、三蔵は、あの通りだし、きっと‥‥」
「ジープの運転手は僕ですよ?運転手が動かなかったら、出発したくても出来ないでしょう?違いますか。」
「そか。そだよね」
少し、ムリをしてるのかも知れないの笑顔。医者の話では今まで無理をしてきた疲れが一気に出てしまって、倒れたのだろうという見立てだった。口には出さなかったが、男でも過酷な旅を少女の身で続けてきたが、かなり無理を重ねていたことは紛れも無い事実だろう。たとえ、彼女の出自が多少の無理を許容できるだけの体力的精神的な余地を与えてくれていたとしてもだ。それに気がつかなかったのは、自分の失態だ、と八戒は思う。一行の『保父さん』だとか『お母さん』だとか言われ、実際、自分でもその役割を自認してきているだけに。なおさら今回のの件はこたえた。
「あの、ね‥‥八戒‥‥私‥‥やっぱり足手まといなの?」
急に難しい顔をして黙り込んだ八戒に、が、おずおずと切り出した。
「そんなことありませんよ。」
きっぱりと断言する八戒。勿論『あの』笑顔つき。
「だって、今日だって、悟浄にはノルマ達成手伝ってもらったし、三蔵は、治らないなら置いて行くっていうし、悟空には一杯心配させちゃってるし」
捨てられた猫の様にくしゅんと落ち込んでいる。
「八戒には怪我の治療してもらって、それで、今も、こうやって、看病してもらってるし」
「いつ、誰が、の事を足手まといだといいました?誰も言ってませんよ」
「だけど、私、今こうやって、倒れちゃって、それで、みんなが先にいけなくて、迷惑、かけてる」
言葉を紡ぐ。その様子は、捨てられそうな猫が捨てないでくれと鳴いている様にも見える。
「これって、足手まとい以外の、何者でもないよね?」
「いいえ、違います」
の言葉を完全に八戒は否定する。の夜空色の瞳が大きく見開かれた。
「ウソ!足手まといだよ。みんなは先に行かなきゃいけないのに、私、みんなの役に立てないどころか、自分の身も自分で守れなかった。いつも、いつも、みんなの足を引っ張ってばっかり‥‥」
と、次の瞬間、いっぱいに見開かれた夜空色の瞳から、本当にぽろぽろと音がしそうな勢いでこぼれ落ちる涙。
「私、邪魔なんじゃないの‥‥」
「いいえ、違います」
「違わない!私、みんなの足手まといなの」
泣きながら叫ぶ。皆の負担になっている、その事実が無性に悔しくて、悲しくて、そのつもりは無いのに涙がこぼれるのを止められない
「八戒、私、この街に残る。その方が、皆の為になる。皆も足手まといがいなくなっていいと思‥‥」
「、聞いて下さい」
強硬に、自分は足手まといだ、と主張するの言葉を遮るように、八戒は自らの腕の中にを閉じ込めた。
「そんな、悲しい事を言わないで下さい。貴女は僕たちにとって大切な存在です。誰も、貴女がいなくなる事を望んではいません」
「う、そ‥‥」
涙声で、それでも否定の言葉を紡ぐの、瞳と同じ夜空色の髪に顔を埋めるように、耳元に囁くように、優しく、優しく告げられる、言葉。
「どうして貴女に嘘をつかなければいけませんか?貴女は僕たちの‥‥僕にとってかけがえのない人なんです。あなたの居場所は、ここしかありませんよ」
「はっ、かい‥‥?」
の声に含まれていた、拒絶の色が、すうと和らぎ、怪訝そうに、不安そうに、呼ばれる八戒の名。同時に、こわばりきっていた身体から、余計な力がふわりと抜けた。
「だから、安心して眠って下さい。ね」
抱きしめていた腕から、を解き放ち、代わりに、両の手をの肩にかけて、とびきりの『保父さん』な笑顔。
「‥‥うん。八戒がそう言うなら」
そう言って、は、再びベッドに身を横たえた。
「また目が覚めるまで、ずっと傍にいますから」
そう言って、ふわりとかけられる毛布と掛け布団。
「今度起きた時には、熱が下がっていたらいいですね」
そう言って、そっと乗せられる、冷たい氷水で固く絞った濡れタオル。タオル越しに、柔らかに感じる心地よい八戒の手の重み。
「八戒、あの、ね‥‥」
「、どうしました?」
「‥‥‥ありがとう‥‥」
これ以上何か言うと、また、涙がこぼれそうで。これ以上泣いて、八戒を困らせたりしたくなくて。こぼれそうな涙を目の奥に押し戻すように、そっとは目を閉じた。
|