昔々ある所に美しく豊かな国があり、王様と王妃様がおりました。
王様はたいそう立派な方で、良く国を治められたので、貴族は勿論、下々の者たちからも敬われ、慕われておりましたし、王妃様も美しく優しい方でしたので、やはりから全ての民から慕われておりました。
王様と王妃様は、お互いに相手の事をとても思いやり仲睦まじくお暮らしでした。国も平和で豊かでしたし、日々の暮らしにはなんの憂いも不自由もないはずでしたが、たった一つだけ、王様と王妃様には悩みがありました。
お二人の間には、ただの一人もお子様がいなかったのです。
王妃様は、その事を大変気に病んでおられましたし、王様もその事でお悩みになる王妃様をとても心配なさっておられました。
そんなある日の事、お城に一人の魔法使いがやってきました。何でも、王様と王妃様のお悩みを聞いて微力ながらお助けに来たというのです。
その魔法使いは、まだ若い男で、黒くて長い髪に全身黒尽くめ。おまけに顔の下半分を金属のマスクとも覆面とも言える何かで覆って素顔を隠しており、たいそう胡散臭く怪しげでした。
大臣たちの中には、彼のその怪しげな身なりを見て、胡散臭い魔法使いなど捨て置けばと言う進言をされるものもおりましたが、お二人とも藁をも掴むお気持ちでしたし、自ら進んで自分たちをお助けに来たと言うその魔法使いの事を、やはりお二人ともお優しい方でしたから、疑うのはよろしくないとお考えになって、お目通りをお許しになったのでした。
鴉、と名乗ったその魔法使いは、謁見の間に現れた王様と王妃様にこう申し上げました。
「ご機嫌麗しゅう、王様、王妃様。私はお二人のお悩みをお助けする為にまかり越しました。この秘薬を王妃様に献上いたします」
そう言って、鴉は怪しい色をした液体が詰まった瓶を恭しく差し出しました。
「この秘薬を、王妃様がお飲みくだされば、必ずお子様に恵まれるでしょう」
自信たっぷりに言う鴉に王様は尋ねます。
「その薬、そちが申すとおり、まこと、子を授けてくれるのだな」
「はい。間違いございません。私ども魔法使いの間に古くから伝わる秘薬でございますれば、この薬で子をなしたものも沢山おりまする」
こう言われては、王様も疑う事が出来ません。後は王妃様のお気持ちだけです。王様は、王妃様にどう思われるのかお尋ねになりました。
「‥‥本当に、その秘薬がわたくし達に子供を授けてくれるのでしたら、どうして拒む事が出来ましょう」
王妃様は、そうきっぱりとお答えになりました。
「天晴れでございます王妃様。なんと素晴らしい勇気あるお言葉でしょう。さあ、どうぞ薬をお飲みください」
鴉は嬉しそうにいい、王妃様の前にひざまずくと、薬の入った瓶をささげました。王妃様は、間近で見る薬のあまりに怪しげな色に、一瞬、たじろぎましたが、王様との間にお子様が欲しいと言うお気持ちは何よりも強いものでしたから、勇気を振り絞って、瓶を取り上げると、一息に薬を飲み干しました。
王妃様が薬を飲み干したその時です。それまで雲ひとつ無く晴れていた空が一転掻き曇ると、稲光が光り、雷鳴が轟きました。同時に、怪しくまがまがしい黒い煙が謁見の間中にもくもくとたちこめます。
「何事だ!」
叫ぶ王様をあざ笑うかのように、男の高笑いが響きました。
「まんまと引っかかったな馬鹿者ども!」
今の今までしおらしかった、鴉が黒い煙をしたがえて宙に浮かんでいます。そう、胡散臭い外見どおり、彼はやっぱり悪い魔法使いだったのでした。
「われわれを騙し、妃に怪しげなものを飲ませてなんとするつもりだ!」
「王よ何を言う、おぬしたちの子がいないと言う悩みをかなえた恩人だぞ。私は。感謝してもらう覚えはあっても、罵倒される覚えなどない」
王様の怒りに満ちた質問に、鴉はくつくつと喉の奥でいやったらしく笑いながら答えにならない答えを返しました。盗人猛々しいとはこの事です。
「おぬしのようなものの言う事が、信じられるものか!」
「王よ。私は、酷い事は言うが、嘘は言わぬぞ。お主たちには、間違いなく子供が授かるだろう。ただし、生まれてくる子は人の子として大切なものを持たない呪われた子だ」
鴉は心底楽しくて仕方がない様子で言いました。
「なんと恐ろしい事を‥‥!」
王妃様は、血の気の引いた顔のまま、つぶやきます。
「おぬしたちの子は『人を愛する心』というものを持たずに生まれる。この世に生まれてから死ぬまで、誰かを愛する事を知らず、愛される喜びも知らず、一生満たされる事のない孤独と悲しみを抱えて暮らすのだ。なんと素晴らしい事だろう!」
そう鴉は言い残すと、黒雲と稲光を従えて、謁見の間から煙のように消え去ってしまいました。
悪い魔法使いの鴉が去ってしばらく後、確かに王様と王妃様の間には子供が授かり、やがて月が満ちると一人の女の赤ちゃんが生まれました。
と名付けられたその赤ちゃんは珠のよう、と言う形容詞そのままの、とても可愛らしい良く笑う子で、どう見ても鴉の言うように『人を愛する心』を持たずに生まれた、呪われた子供には見えません。
待ちに待っていた王様と王妃様のお子様、それも可愛らしい王女様の誕生に国中が喜び、お祭り騒ぎになりましたが、王様と王妃様、特に王妃様は、この余りにも残酷で呪われた運命を持って生まれた子が不憫でたまりませんでした。
「なんとしても、この子の呪いを解き、健やかに育てなくては」
そう決意した王様と王妃様は、愛情を込めて、優しく厳しく姫を育てると同時に、八方手を尽くして呪いを解く方法を探しましたが、呪いを解くための手がかりすら中々見つかりません。
そのうちに、姫は、王様と王妃様の注いだ愛情がそうさせたのでしょうか、呪われた子供だとは思えぬほど、すくすくと育ち、利発で活発な子供に、そしてまたすくすくと育って、お年頃の姫君になりました。
姫は、近衛の女騎士たちから護身の為に手ほどきされた剣や弓の鍛錬の方に興味があったり、外遊びも、姫君らしい舟遊びやお庭の散策よりは、乗馬や狩りの方がお好きで、時にこっそりとお城を抜け出して遠乗りにお行き遊ばされたりと言うお転婆をおやりになる事もありました。
お転婆をお休みして大人しくお部屋にいる時だって、普通の姫君が好まれる話題のおしゃべりや物事を嫌ってはおられないご様子でしたが、それよりは、本を読んだり、学者たちからご進講を受けられる事を好まれるようでした。
そんな風に姫は『姫君』としては少々風変わりな点が見受けられるお方でしたが、王様と王妃様お二人の愛情に包まれて、絹糸の様に艶やかで美しい栗色の髪と、色白だけれど健康そうな色合いのすべらかな肌、柳の木の様にすらりとした肢体に、綺麗で大きな赤瑪瑙色の瞳を持った、明るく聡明で凛とした立派な姫君にお育ちになったのです。姫が生まれる前に悪い魔法使いに呪われたと言う事は、国中の皆が知っておりましたけれど、当の姫自身が呪われているなどとは思えぬ程、快活で下々の者にも分け隔てない方でしたから、皆、姫が呪われたお子だと言うことを忘れかけておりました。
ですが、姫が鴉のかけた呪い通り、『人を愛する心』の無い、呪われた姫君だったという事が、人々に良く分かる出来事が、とうとう起こってしまったのです。
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