それは、姫が18の誕生日を迎えて、そのお祝いの宴がお城で開かれた時の事でした。
18ともなると、姫ももう、そろそろ婿取りを考えねばならぬ時期です。王様も王妃様も、呪われた子だからこそ、せめて人並みの幸せをと願っておりましたから、姫の婿には、姫のことを心の底から愛して慈しんでくれる殿方をと思っておりました。
ですが、例え姫の事を心底愛して慈しんで下さる殿方でも、肝心の姫のおめがねにかなわぬ方ではどうしようもありませんし、姫のおめがねにかなう方がどんな方か、皆に知らせる事が出来れば、相応しい殿方が自ら名乗り出てもくれましょうと、王様と王妃様は姫にお尋ねになりました。
『姫が自分の婿に相応しいと思われるのはどのような殿方なのか』と。
すると姫は、にっこり笑って、こうおっしゃったのです。
『私のために死んでくださる方を』と。
王様も王妃様も、回りにいる招かれた大臣や貴族たちも、その姫の言葉を聞いて驚き、どういう意味なのかとお尋ねになりました。すると姫は、やはり笑顔のままこう言われました。
「その言葉どおりの意味です。書物によると、どうやら、私のような立場のものを娶る為には、命がけでないとならぬようです。ですから、私の為に死んでくださる方こそ相応しいのだと思ったのですわ」
笑顔を絶やさぬまま淡々とおっしゃる姫のご様子に、王様も王妃様もたいそう驚き、大臣たちも驚愕のあまりざわめきました。姫の為に死ぬと言うことは、死んでしまわないと姫の婿になる事は出来ないと言うことです。そして命は一つしかないのです。一つしかない命を姫の為に差し出してしまうと、生き返る事は出来ませんし、当然姫と結婚など出来るわけもありません。聡明な姫が、この矛盾に気が付いていない訳が無い、と、回りの者は一縷の望みを託して、その事を姫に問いただしました。しかし姫は真顔でおっしゃいました。
「どうしてそのような事が起こるのでしょう」と。
姫は、皆が知る通り利発で聡明な方でしたから、生き物には命が一つしかないと言う事も、死んでしまった者が生き返る事は出来ないと言う事も、全てご存知でした。その一つ一つを問いただされると、間違いの無いお答えをきちんとお返しになられます。ですが、『姫の為に死ねるものが婿に相応しい』と言う事にある矛盾には、なぜだかお気づきになっておられぬようなのです。
「だって、本にある姫君は、みんなご自分の為に命がけになられる方と結婚なさっておりますもの。何がおかしいのですか。私は間違った事は言ってはおらぬはずです。どうして皆がその様に騒ぐのか、私には分かりませんわ」
お祝いの宴に招かれた貴婦人の中でも気の弱いお方は、姫が次々とおっしゃる恐ろしいお言葉と、それと相反する姫のにこやかな笑顔をご覧になって、ぱたぱたと卒倒してしまい、しんの強いお方だと評判の王妃様ですら、姫の紡がれるお言葉のショックが強すぎて、気を失いかけたほどです。殿方だって同じ事。
聡明で皆から敬愛されていた姫が、あまりにも恐ろしい事ばかり平然とお話になるものですから、いつしか招かれた人々の間からは、やはり姫は『呪われた姫君』だったのだとの囁き声がそこここで上がり始め、大広間は悲鳴と驚きの声で埋め尽くされました。その時です。
「うるさいねえ。少し静かにしておくれ」
一人の老婆の声が広間に響きました。年老いている割には、張りのある、よく通る声でした。驚いた皆は口をつぐむと、その声の主の方へ目をやりました。そこには、魔法使いの正装に身を包んだ、小柄な老婆が一人、おりました。
「年寄りが、老体に鞭打って、山奥の更に奥から、姫のお祝いに駆けつけてみればこの騒ぎかい?この幻海婆さんに、姫におめでとう位、静かな中で言わせてあげようと思えないのかね」
魔法使いの老婆は言いながら、王様と王妃様と姫のいる御座所へと歩み寄ります。その様子を見ていた招待客の中から、どよめきと、幻海だ、幻海がいるぞと言う呟きがあがりました。
先代の王様に少しの間だけお仕えした後、俗世のわずらわしさを嫌って山奥に隠居したそれはそれは強力な魔力を持った良い魔法使いがいると言うお話は、今の王様に御世が変わった今となっても語り継がれていた伝説に近い噂話でしたし、その魔法使いの名前が幻海と言うのも、やっぱり、知る人ぞ知るお話だったのです。
「幻海殿、どうか、どうか姫の呪いを解いてやって下さい」
王様も王妃様ももはや、最後の望みとばかりに幻海に姫の呪いを解いて下さるようにとお願い申し上げます。
幻海は姫を頭のてっぺんから足の先までじろじろと見回した後、持っていた杖を姫に突きつけました。魔法の光が杖の先に一つ、ぽっと灯ります。ですが、その光は灯っただけで、すぐ消えてしまいました。
「王様、王妃様、残念だがあんたたちの望みは、この年寄りには少々荷が重たいねえ。あたしが若くてもっと力のある頃だったら、あたし自身の力で何とかして上げられたかもしれないけれど」
灯っただけですぐ消えた魔法の明かりを見て、幻海は王様と王妃様にこう言いました。
「そんな!では姫の呪いはあの魔法使いが言った様に、一生解けぬのですか?!」
今にも気を失ってしまいそうな顔で王妃様が悲しげに叫びました。
「そんな事は言っちゃいないよ。落ち着くんだね。今言ったのは『あたし自身』の力で呪いは解けないと、そう言っただけの事。呪いを解く方法はちゃんとあるのさ、安心おし」
幻海はそう言うと、姫に突きつけていた杖を下ろしました。
「年寄りの力では、姫の呪いは解いて上げられないけれど、姫の呪いを解く方法を見つけて、手を貸してあげる事は出来る」
そう言うと、幻海は懐を探って、一粒の種を取り出しました。
「これがあたしからの姫への誕生日の贈り物だ。この種は『魂の薔薇』と言って、人の心を苗床に育つ魔法の薔薇の種さ。この薔薇の花が、姫の心の中で無事に咲いたら、姫は『人を愛する心』とは、どんなものか本当の意味で知る事になるだろう。そうすれば、『人を愛する心』も生まれてくる。きっと呪いも解けるだろう」
その言葉を聞いて、王様も王妃様もほっと胸を撫で下ろしました。
「安心するのはまだ早いよ。ただ蒔いただけで育つ種なんかないんだからね。この種が育って花を咲かせるには、姫の事を本当に心の底から命がけで愛してくれる殿方がその愛を姫に奉げないといけない。それが、この薔薇を育てる糧となるのさ」
その幻海の言葉を聞いて、今まで黙って皆の言う事に耳を傾けていた姫がはじめて口を開きました。
「お婆さま。貴方のおっしゃる事は良く分かりました。でも、愛とは目に見えないものだと聞いておりますわ。目に見えぬものを、私はどうやって受け取れば宜しいのですか」
「おや。確かに、噂通り、あんたは賢い姫君だね。このばあさんの言う事を鵜呑みにもせず、かと言って、全てを疑うこともしていない。そして、あたしの言っている事の内、自分が何が分かっていないのかもちゃんとわかっている。姫。あんたはこの薔薇の種を蒔くに相応しい人間だ」
幻海はそう言うと、はじめて、満足そうに少しだけ笑いました。
「どうすればいいかは、今から教えてあげるよ。良くお聞き」
姫はこくりとうなずきました。
「この種が姫の心の中に蒔かれると、3つの謎があんたの心の中から生まれてくるだろう。その謎が1つ解かれる度に、薔薇が少しずつ育つ。3つ全部謎が解かれないと、この薔薇は無事に咲かない。そして、その謎を3つ全て解く事が出来るのは、姫の事を本当に心の底から命がけで愛してくれる殿方だ。つまり、この薔薇が無事に育って花が咲くには、姫の事を心の底から、命がけで愛してくれる殿方の愛が必要なのさ」
「本当にそんな事で宜しいのですか?謎解きなら、私をなんとも思っていなくても、賢い殿方なら3つ全て解いてしまうのではありませんか?」
姫は、またしても、分からないことを幻海に尋ねます。
「そうさね。一つや二つなら、姫の事をなんとも思っちゃいなくったって、賢い殿方は解いてしまう事もあるだろう。でもね、最後の一つだけは、姫の事を本当に命がけで愛している殿方で無いと、答えは決して分かりはしないんだよ。不思議な事にそう言う謎になっているのさ」
「‥‥不思議なものなのですね。魔法と言うものは」
「分かってくれたようだね。飲み込みが早くて結構なことさ」
不思議そうな顔をしながらも、仕組みを理解した姫の様子に幻海は満足そうです。
「納得したのなら、種を蒔くよ。少しの間、じっとしておいで」
幻海は手にした『魂の薔薇』の種を姫の胸元に押し付けます。すると種はまるで水の中に沈んでいくかの様に姫の身体の中に埋まって行き、あっという間に見えなくなってしまいました。
「さあ、これで良し。後は、そうだね。あんたに二つばっかり忠告をしとこうかねえ。まず一つ目。あんたに呪いをかけた魔法使いのことだ。きっと、どこからかあんたに種を蒔いた事を聞き付けて、呪いが解けるのを邪魔しに来るだろうよ。そいつの名前は鴉と言って、名前の通り、頭のてっぺんから足の先まで真っ黒な奴さ」
幻海はそう言うと姫をじっと見つめました。
「奴の魔力はあたしよりも強いし、何よりとても狡賢い。だから姫、奴の言うことは決して信じてはいけない。あいつは嘘を吐く事はまず無いが、自分にとって都合のいい事実しか言わないし、酷いことも平気で言うのだからね。あんたのその賢いおつむをよぉく働かせて、奴の隠している真実を見極めるんだよ」
姫はこくりと首を縦に振りました
「二つ目は、薔薇が咲いた後のこと。姫、あんたが呪いをかけられている割には、かなりまっとうな人間なのも、あんたの両親が愛をこめてあんたを育てたからだよ。だから、あんたは今まで呪われた身でありながら、今までその呪いの影響が余り表に出ずに済んだのさ。そして、姫、あんたは賢いのだから、頭では愛とは何かを全部じゃなくても少しは理解しているはず。その賢さのおかげで、自分が今まで『呪われていない』様な振る舞いが出来た事も、分かっているだろう」
「幻海さまのおっしゃる通りですわ。私は、両親に慈しまれたからこの歳まで無事に育ちました。呪われた子供なのに、私を大切に育てて下さったお父様とお母様には大変感謝しております。その気持ちに嘘偽りはありません。でも、どうして私をいとおしんで下さるのか、それは分かりません。親が子を愛して慈しむのは理由や理屈などないのだ、当たり前だと言われても、その『当たり前』が私には分かりません。ただ、人の世ではそれが『当たり前』なのだと言うことと、そのような『当たり前』がたくさんこの世にはあるのだという事、『当たり前』のことは『当たり前』なのだとして振舞わなければならない事は分かりましたから、私はその様にしてきたのです」
姫のその言葉を聞いて、一度は静まった広間は、またも悲鳴と驚きの声で満たされました。今まで姫は呪われた身とは言え、それを感じさせる事の無い方だと皆思っておりました。なのに、最初の『自分の為に死んでくれる方を』と言う発言を皮切りに、聡明で心優しい姫だったはずの姫の口から、にわかには信じられない恐ろしい言葉が次から次へと飛び出すのですから、皆おとなしく事の成り行きを見守るのに耐えられなくなったのです。
「皆静かにおし!」
幻海の一喝が飛び、ざわめいていた広間は水を打ったように静まりました。それを確認して、幻海は中断した言葉を続けます。
「愛は薔薇の花と良く似ている。薔薇の花は美しく、その香りは人を陶然とさせる。だが、薔薇にはとげがあり、不用意に触れるとそのとげは触った物を傷つける。愛もそれと同じで、美しく素晴らしいものだ。だが、薔薇の様に鋭いとげも持っている。触れると傷つき、血を流す事だってある」
幻海は、そこでいったん言葉を切ると、姫の顔をじっと見つめました。
「普通の人間は、そのとげを生まれた時から少しずつ味わって痛みと傷に慣れてきているけれど、あんたは呪いのおかげで愛の美しさも素晴らしさも知らない代わりに、生まれてから今まで、一度もとげが刺さった事がない。とげが刺さった事がないから、愛が与える痛みも知らないし、傷ついた事も無い。だからね。薔薇が咲いた時、あんたの心には、生まれてから今まで本当は刺さるはずだったとげがみんなまとめて刺さってくるよ。とげの刺さったあんたの心はきっとズタズタに引き裂かれるはずだ。そして、引き裂かれた心の傷を治すのは姫、あんた自身だ。他人はあんたの心の傷を本当の意味で治すことは出来ない。でもね、あんたは決して一人ではないんだよ。魂の薔薇が咲くという事は、その時の姫のそばには、あんたの事を命がけで心の底から愛してくれる殿方がいると言う事だよ。そのことをよく覚えておおき」
姫はこっくりとうなずき、その様子を見て、幻海は満足そうに笑いました。
「さあ、これで年寄りの役目は終わりだよ。後は、あたしよりも若い人間の役目さ」
幻海はそう言って、王様と王妃様に幾つか耳打ちをすると、また、来た時と同じ様に悠然とした足取りで、広間を去っていきました。
それから数日後のことです。お城から一つのお触れが、国中だけでなく、回りにある他の全ての国にも届く様に姫の肖像画も添えて大々的に流されました。
『姫の出す3つの謎を解いたものを、姫の花婿とし、この国の跡取りとする。ただし、謎解きに一つでも失敗したものは死刑とする。われと思わん若者は、身分も貧富の差も問わぬゆえ、申し出るがよい』と。
こうして、『姫の事を心の底から命がけで愛してくれる殿方』探しが始まったのです。
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