お触れは瞬く間に方々に広がりました。上は王族や貴族、下は市井に暮らす平凡な民草まで、お触れの話を知らぬ者はありませんでした。
そして、姫の住む国も、その回りの国々も、老若男女を問わず、人が集まるとお触れの話でもちきりになりました。特に若者達はまるで熱に浮かされたかの様に姫に夢中になりました。
姫は、『絶世の美女』と言える程美しい姫ではありませんでしたが、個人的な好みによる好き嫌いを考えなければ、客観的に判断して魅力的と言って差し支えないだけの容姿は備えておりましたし、なにより『呪われた姫君』とか『謎を解いた者は国の跡取りに』とか言うフレーズは、若さや野心の両方、もしくはいずれか片方だけでも持っている者にとっては姫の容姿以上に魅力的に映ったのです。
お城には次々とお触れを聞いた若者が集まりました。ですが、誰一人として姫の出す3つの謎を全て解けた者は現れませんでした。
沢山の若者が、姫の出す謎に挑んでは、一人、また一人と、城下の人々と姫の目の前で首を刎(は)ねられて行きました。
貴族の若者も、豪商の息子も、己の身一つ以外、何も持たない貧しい若者も、身分や貧富の差に関係なく、次々と処刑され、首を刎ねられて行きます。
そして、彼らの処刑を顔色一つ変えずに見守る姫の姿を見た人々は、凄惨な処刑の様子よりも、それを平然と見届ける姫の方に心底震え上がって、やっぱり姫には心が無いのだ、姫の身体には赤い血ではなく氷が流れているのだと口々に囁きあっては、恐れおののきました。姫の様子を知った人々は、皆姫を恐れ、殺された若者の家族や友人は胸が張り裂けんばかりに嘆き悲しみました。
そうやって、平和だったはずの国が悲しみと恐怖でうっすらと包まれていったのです。
この様子を、自分の住む魔法使いの塔から、こっそり見守っていた鴉は笑いが止まりませんでした。
姫の引き起こした人々の恐怖や悲しみと言った負の感情は、悪い魔法使いにとっては上等な食事のようなもので、魔力の源となるのです。
しかもそれらは雨雲の様にどんよりと国中を覆っていましたから、何もしなくても、面白い様に自分の力が蓄えられていくのです。これを笑わなくて何を笑うと言うのでしょう。鴉はたいそうご機嫌でした。
そうやって恐れ悲しむ人々の様子を見て楽しんでいたある日、鴉の眉根が急に寄せられました。遠見の水晶球が、いつもの通り恐れおののく民草達の様子ではなく、別のものを映し出したからです。
それは、立派な馬にまたがって森の中を進む、人品卑しからぬ一人の若者でした。
若者は、細身の曲刀か夜空に浮かぶ三日月の様なすらりとして優美な身体つきと長く艶やかな黒髪に、眉目秀麗と言う言葉を絵に書いて表した様な美しく品のある顔立ちで、夜空色の瞳は思慮深さと高い知性にあふれています。
身なりはせいぜい下級貴族か上級官吏の息子と言った風情で、そう派手な物でもありませんが、趣味の良い品ばかりで、見る目のある者が見れば、それらが実は大変高価な品物だと言うこと、この若者が本当は身分の高い高貴な生まれであると言うことが一目で分かるものでした。
美しく立派なその若者の姿を見た鴉は、更に眉を寄せ、不愉快そうな顔になりました。何をどうと言う訳ではないのですが、この若者の姿を見るとなにやら気分が悪くなり、嫌な予感がしてたまらないのです。鴉は、幻海すら、過小評価せずに一目置いた位、高い魔力に加えて狡猾で悪知恵の回る魔法使いでしたから、危険な予兆だと自分の勘が訴えているこの若者を黙って見過ごすことはしませんでした。早速僕(しもべ)のカラス達を呼び寄せます。
「お前たち、この若者を好きな様に痛めつけてくるが良い。殺してしまっても構わん。存分にやってしまえ」
主(あるじ)に忠実な邪悪な僕達は、濁っただみ声でカァカァと鳴きながら、若者のいる森へと群れをなして飛んで行ってしまいました。
その時、鴉のおめがねにかなってしまった件の青年は、たいそう困っておりました。なぜなら道に迷ってしまっていたからです。
愛馬の上で首を傾げるこの青年の素性は、隣国薔薇(そうび)の国の第一王子で、名前を蔵馬と言いました。友人‥‥この国の重鎮である、国軍の大将軍雷禅の一人息子幽助に招かれ、共も連れずにこっそりお忍びで訪れたのはいいのですが、先程申しました通り、道に迷ってしまって往生している所なのでした。
どうやら、考え事をしている間に間違った分かれ道をたどってしまったらしいと言うことにようやく思い至って、元来た道を戻った方がいいのか、それともこのまま進んでとにかく森を抜けてしまった方がいいのか、どちらがより確かで安全なのかを思いあぐねていたのです。
「やれやれ困ったな。まさか道に迷うなんて思っても見なかったよ」
ひとり言とも愛馬に話しかけるとも取れる調子で王子は言いました。
「日が暮れるまでに幽助の所へたどり着かないと、彼にも迷惑をかけてしまうし、さあて、どうするべきだろうか」
首をかしげる王子の頭上が急に翳(かげ)りました。と、思うと、頭上から、なにやら黒い塊が王子めがけて襲いかかってきます。とっさに馬首をめぐらせ、肌身離さず身に付けている鞭をふるってその塊を叩き落とすと、それは一羽の黒く大きなカラスでした。
「‥‥鴉?」
いぶかしげに呟いた王子に、一羽、また一羽とカラスが襲いかかってきました。空を見れば、いつの間に集まったか、黒い大きなカラスが、群れを成して飛んでいます。
このカラス達は、先程鴉の手によって差し向けられた僕なのですが、勿論王子はその事は知りません。
分からないまま、馬を操り、鞭をふるっては、自分と馬を襲うカラスどもから身を守ります。
ですが、王子は一人なのに、カラス達の数は一目では何羽と分からぬほどいるのです。
乗っている愛馬も、戦に用いる軍馬でしたら、自らもカラス達に立ち向かい、王子の右腕にもなったでしょうが、残念ながら平時に用いる乗用馬でしたので、そのような訓練など受けてはおりません。王子を大人しくその背に乗せ、命じるままに動くので精一杯です。魔法使いの僕に立ち向かうことなど出来る訳もありません。馬にも人にも疲れの色が見えはじめたその時でした。
ヒュンッ!と空を切り裂く鋭い音と共に、王子の背後にいたカラスが一羽、濁った泣き声を上げ、地面に向かって落ちてゆきます。
どこからともなく飛んで来た一本の矢がカラスを射落としたのです。
続けて2度、3度と弦音が鳴り、カラスは矢の餌食となって次々と地に落ちました。
「そこの方!早くこちらに!」
女の、それもまだ若い娘の声が王子を呼びました。
声のする方角を見れば、馬に乗り弓矢を携えた栗色の髪の娘がそこにはおりました。
思いがけない助勢、それもうら若い娘の手助けに王子は驚きましたが、今は迷っている暇などありません。襲ってくるカラス達から身を守りながら、娘のいる方へと馬を走らせました。その間にも、娘が矢を放つ音と、それに射貫かれるカラスたちの断末魔の声とが王子の背後から聞こえます。
「‥‥普通のカラスではありませんわね‥‥」
王子の窮地に救いの手を差し伸べた娘は、そうつぶやくと、腰に付けた物入れ(ポーチ)を探って、片手で握りこめるサイズの小瓶を取り出し、空を舞うカラスの群れに投げ付けました。そして、すかさず弓に矢を番(つが)えると、小瓶めがけて矢を放ちます。放たれた矢は、見事に小瓶を射砕いて中に入っていた液体がカラスの群れへと降り注ぎました。その液体を浴びたカラスたちの身体からは、しゅうしゅうと白い煙が上がり、苦しみの鳴き声があちこちから上がります。どうやら小瓶の液体は悪い魔法の僕たちにとっては毒になるもののようでした。カラス達はその液体を浴びるのが何よりもイヤなのでしょう。主の命令も忘れて次々とこの場から飛び去りはじめました。
「さあ今の内です!私の後へ!」
娘はそう言うと、自分の馬の腹を蹴って森の奥へと駆け出しました。王子もあわてて娘の後を追いました。
学究肌のたおやかそうにも見える外見の王子でしたが、見た目通り学問は勿論、そして見かけとは反対に武術や馬術にも秀でておりましたから、はじめは娘の後を追う位なら、たいした苦労はかかるまいと思っておりました。
ですが、娘は弓の腕だけではなく、乗馬の腕も女にしておくのが惜しい位立派なもので、王子はついて行くので精一杯でした。娘と娘の馬は元気一杯だと言う事、王子と王子の馬が疲れを見せ始めていたという事と乗り手の王子がこの地には余り詳しくないと言うことを差し引いても、娘と王子の馬術の腕前は、そう大きな開きのあるものではなさそうでした。しばらく馬を走らせて、ようやく娘が立ち止まった時には、王子は自分の目の前を走る娘の技量が、大したものだとすっかり感心してしまっておりました。
「お嬢さん。ありがとうございました。おかげで助かりました」
王子はお礼を言って、自分の命の恩人になった娘の姿を始めてゆっくりと目の当たりにしました。
娘は二粒の宝石と言っても良い、大きく生気に溢れる綺麗な赤瑪瑙色の目と、極上の絹糸の様に見える栗色の髪の持ち主で、絶世の美女と言うには足りないけれども、魅力的と言って差し支えないだけの整った顔をしておりました。
柳の枝のようなしなやかな身体には、軍人の略式礼装とも思える美しい上着とズボンを身に付け、足には柔らかで丈夫そうな皮製の乗馬用のブーツを履き、豊かな栗色の髪を馬の尻尾と良く似た形にきりりと結い上げて、まるで勇者を守護するという戦乙女のようなりりしくも美しい娘でありました。
「‥‥どういたしまして。ところで、ぶしつけな事を申し上げますけど、貴方、この国の方ではありませんわね」
なんだか怒ったような口調で娘は言いました。その顔も、友好的だとは少々言い難いものでした。
「どうしてそう思ったんですか?綺麗なお嬢さん?」
もしかして、自分の素性がばれたのでは無いだろうか、と言う疑いを抱きつつも、王子はにっこり笑ってそう答えました。この王子様は人品卑しからぬ風体とは反比例するしたたかさを持っておられる方で、自分の容姿と笑顔が世の女性と言われる生き物、特に若い娘と呼ばれる種類の物に多大なる影響を及ぼすとちゃんと分かっておられたのです。
「森へ魔除けの用意も無く不用意に入っているからですわ」
さっきと同じ口調、同じ顔で娘は王子の問いに答えます。『綺麗なお嬢さん』と言う褒め言葉や王子の笑顔に何かしらの感慨を受けた様子は全く見られません。
「最近、さっきのカラスの様な怪しいモノが森に良く出るのです。だから、この国の人間は森に入る時にはみんな何か魔除けを持って行くのです。何の備えも無く森に入る者はおりません」
娘の顔は、今度はどこと無くあきれ返っているようなそれに変わっています。
「手厳しいなあ。まるでオレが馬鹿だとでも言いたそうだ」
王子はひょいと肩をすくめました。
「貴方がそう思いたければ、そう思われて結構です」
王子の軽口を娘はぴしゃりと跳ね除けました。その様子に、王子はこの娘には他の世間一般の若い娘たちの様に自分の容姿や話術が影響を及ぼしたりはしないのだとようやく悟って、顔にこそ出しませんでしたが、大変驚いてしまったのです。
「では、愚かな旅人にもう少しだけ情けをかけていただけませんか?実は、道に迷っている所なのです。せめて、森を抜けるまでご一緒してもらえると、大変ありがたい」
「ええ構いませんわ。森を抜けるまでは、ご一緒しましょう。元々そのつもりでしたもの」
娘は、ほんの少しだけ笑顔らしきものを見せた後そう言うと、いきなり馬首をめぐらしました。
出発を促すこともせずに、さっさと馬を出発させた娘に王子はたいそう面食らいましたけど、今はこの娘以外に頼るものは誰もいないのです。あわてて王子も後を追いました。
娘は、王子が後を付いてくるのと、王子の馬が疲れを見せ始めている事を見て取ると、少し歩調を緩めてはくれましたが、だからと言って、王子に何か話しかけるでもなく、淡々と馬を駆って木立を抜けて行きました。困っている、それも、何か得体の知れないモノに襲われている人間を助けた位ですから、娘は多分、人として善良な部類に入るのでしょうが、普通の人間とはどうも様子も勝手も違います。『不親切』では決して無いし、『無礼』‥‥王子に対する態度としては無礼かもしれませんが、それは、彼女が王子の素性を知らないからゆえの態度ですから‥‥と言う訳でもないのですけど、『愛想』とか『人当たり』とか言うものが乏しいようで、どこか作り物めいた、良く出来た人形の様な印象を王子は持ちました。
ですが、国で腹の底では何を考えているのか分からない貴族や役人達のおべっかやお追従、そして、自分の寵愛を欲しがってはきゃあきゃあとかしましい貴族の娘達に囲まれている王子には、自分に下心もなく、媚びることも無い娘の様子は、たとえそれが人形の様な、冷たい人らしからぬ振る舞いであったにしても、そう不快なものとは思えなかったのです。そうこうしている内に、二人と二頭は森を抜けてしまいました。
「森を抜けましたわ」
娘は馬を止めるとくるりと振り返り、出発した時と同じように唐突に王子に話しかけました。いきなり話しかけられた王子は、
「ええ」
と相槌を打つのが精一杯。娘は、そんな王子の様子に何の頓着する様子も無く、
「お約束はここまででしたわね。それではごきげんよう」
と、ねぎらいの言葉こそ無かったものの、ようやく誰の目にも笑顔だと分かる表情を浮かべて別れの挨拶をすると、王子の返答も待たずに、馬の腹を蹴っていなくなってしまったのでした。
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